今に生きるために自己理解は必要不可欠
あなたは自分のことを知っていますか?
見るもの、聞くもの、行うこと全てが
過去に染まっているという自覚はありますか?
過去というフィルター越しに
観察していることを理解しなければ
人は今に生きることはできないので
自分の思考、感情、行動について理解すること
つまり自己理解はとても重要なのです
嫉妬は私の一部、嫉妬は私の性質
例を挙げます
私は自分が嫉妬深いことに気づいています
恋人や友人との関係を通して
私は自分の嫉妬深さを自覚しています
このとき嫉妬深いという性質は私自身です
つまり...
嫉妬は私の一部です。嫉妬は私の性質です
嫉妬しているときにも
私は自分が嫉妬していることに気づいています
「私は嫉妬している…」
このように私は心の中で言いますが
どうして『嫉妬』という言葉を使うのでしょう?
あなたも私と一緒に考えてください
↓
何故かというと私は嫉妬というものが
どういうものかを教えられ、そして
その言葉を受け入れてきたからです
嫉妬がどういうものかを教えられてきた私は
似たような感情が生まれるとそれを『嫉妬』
と名付け感情は言葉に置き換えられます
私は名付けるように条件付けられているのです
感情を抱いたときにそれを味わい尽くすのではなく
感情を言葉に置き換えて感情ではなく
【言葉と関わるよう】条件づけられています
※『条件付けについて』 『思い込みをなくす』
性質が性質を変えようとしても同じ性質にとどまる
このとき私が何をしたかわかりますか?
もう一度初めから順を追って慎重に進みます
私は嫉妬しています
嫉妬は私と異なるものではありません
嫉妬深いという性質を私は持っているからです
でも嫉妬と異なる存在だと信じたい!
というのは…
嫉妬と私が異なる存在なら
私は嫉妬に対処可能だからです
正当化したり合理化したり
抑え込んだり超越したりと
働きかけることができるからです
しかし実際はそんなことはできません
なぜなら嫉妬は私の一部だからです
性質が性質を変えようとしても
同じ性質にとどまるだけだからです
※『不毛な努力・不毛なコントロール』
嫉妬という「言葉」と今感じている「気持ち」は違う
私は自分の気持ちを嫉妬と呼びます
なぜなら名付けることは
私がこれまで教わってきた伝統のパターンだからです
感情を言葉に置き換えるように条件付けられています
何かに心が反応すると、
私はすぐさま自分の気持ちに名前をつけます
しかし名付けることで、気持ちではなく
言葉が大事になってしまいます
自分の気持ちを「嫉妬」という言葉に
置き換えた瞬間に私は【今の気持ち】ではなく
「嫉妬」という言葉と関わることしかできないのです
つまり…
気持ちではなく観念が重要になってしまうのです
それは【今の自分】よりも【理想の自分】が
大事になるのと同じで、事実よりも概念や観念が
大切になってしまうのです
しかし事実だけが現に起こっていることであり
概念や観念は掴むことさえできないただの
幻想です
長くなりましたが、私が自分の気持ちを
嫉妬という言葉に変換することによって
あるがままの感情はないがしろにされ
幻想と関わることしかできなくなってしまうのです
※『見つめると嫉妬は消える』
『言葉のイメージを払拭しリアルな感情に出会う』
経験(過去)というフィルター越しに現在を見るとは…
ではどのようにして現在の気持ちを
嫉妬と名付けたのかというと、
私は過去に似たような感情を、
抱いたことがあるからです
つまり過去の経験が今の気持ちを
嫉妬と判断したのです
過去というフィルターを通して
現在の気持ちと向き合っているということです
過去というフィルター越しに現在を見ています
※『刻々と変化する生とパターン化した心』
過去に生きていることを自覚する
私たちはこのようにいつも過去に生きています
現在に起こっていることを過去の情報を基に判断して
今とる行動を決めるので私たちの思考、行動、
感情はどれも過去に基づいています
では「過去」とは何でしょう?
過去とは一連の記憶であり
それは言葉でありシンボルです
私はこの「過去」という背景に従い
今の芽生えたばかりの気持ちを『嫉妬』と判断しました
どういうことかというと
新しい気持ちが生まれるや否や
私は伝統という従来のパターン、
つまり過去に逆戻りするのです
過去という網に捕らえられた私はもう
現在の気持ちを過去に感じた気持ち抜きに
見ることはできません
つまり記憶という過去(思考)が作動したせいで
私は現在の気持ちを純粋に知覚することも
理解することもできないというわけです
※『過去の悲しみを連想しないで現在の悲しみと出会う』
現在(いま)に生きるということ
しかしもし、私が嫉妬と名付けることなく
また『嫉妬している』と心で呟くことなく
今生まれた気持ちに出会うなら
過去の嫉妬ではなくて今のフレッシュな
気持ちと出会うことができます
このときの脳は非常に活動的です
以前のように過去を繰り返すだけの
機械的な思考パターン、感情パターンで
働いてはいません
現在(いま)にダイレクトに触れている脳は繊細です
※『アクティブな脳は問う・疑う』
自己理解とは自己について刻々と学ぶこと
自己理解の大切さは、これまでにもお話してきました
自己理解とは心理学者や哲学者の意見や知識を
学ぶことではありません
あなたは自分で自分のことを学ばなければなりません
そのためには本ではなく自分自身と
向き合わなければなりません
自分の反応や思考の動き、感情の移り変わりを
注意深く観察することによって自己について学べます
だからあらゆる権威~専門家や書物~を片付けましょう
他の人があなたの意識や心について
感情や思考について言及したことや
道徳や倫理といった伝統的な教えに
頼ってはなりません
あなたはこれらを捨てることができますか?
というのは彼らの言っていることは
あなたの心で実際に起きていることとは違うからです
自分の心を理解するには自分で学ばなければなりません
あなたは生きています
だからあなたの心は毎日変わります
ですからあなたの心の変化を刻々と観察して
自己について学んでいかなければ
自己を理解することはできないのです
あなたの心が1番近くにあるものであり
そして1番頼りになる教科書なのです
書物や教義という過去(死物)で
生に対処することはできません
※『自己知識とは自己に対する絶え間のない学び 』
過去が今に生きることを邪魔している
ここで最初に戻ります
私は嫉妬深いことを自覚しています
なぜなら過去にそういう体験をしたからです
脳に記憶として貯えられた体験を通して
私は自分の心を調べています
これはどういうことかというと
過去が私自身を調べているわけですが、
そもそも私自身が過去なのです
というのは私の中身というのは
経験と知識といった過去の集まりだからです
これでは見るもの、聞くもの、行うこと
すべてが過去に染まってしまいます
※『意識を空っぽにして今に出会おう』
『観念を手放さないと今に生きられない』
過去に染まることのない観察
ですから初めて観察するかのように
自分自身を観察することはできないでしょうか?
これができなければ過去がいつも
あなたが見ているものを歪めることになります
過去があなたが見ているものを分析し
判断してとるべき行動を決定するので
あなたの行為はすべて過去に縛られ
自己観察も例外なく過去の色に染まり
自己観察によって生まれる自己理解も
単なる知識(過去)の蓄積に終わります
過去の記憶を通してではなく、つまり
何千もの昨日の私についての知識を通してではなく
現在の自分について新たに学ぶことが重要です
人間は死物ではないので、
死物でしかない知識を蓄積したって
自己理解の助けにはなりません
知識を蓄積することなく
新たな自分について刻々と学ばなければなりません
このような知識を蓄積しない学びは非常に面白く
エネルギッシュで生き生きとしています
・初めて見るかのように自己観察できたら…
・妻や夫や子供を新鮮な目で見れたら…
・自分の反応や気持ちや思考を命名せず
捉えることができたら…
↓↓↓
そしたら私たちが触れるものは
いつも新たなものとなります
そこに思考~過去~の介入はありません
ここで書かれたことを実践すると
新鮮なエネルギーに満ち溢れるようになります
※『友達の態度や言葉にモヤモヤして辛い・・・その正体は思考』
新たなものに出会えない理由
なぜ新たなものに出会えないのでしょう?
なぜ思考を挟まずに物事を
観察することができないのでしょうか?
それは私たちがそれほどまでに
関心を持っていないからです
私たちはどれほどの時間を会社で工場で、
過ごしてきましたか?
技術を身につけるため、資格をとるため、
暮らしを豊かにするため、成功するために
どれだけの情熱や関心をもって、
1つのことに取り組んできましたか?
過去から自由な純粋なる観察も
1日でできることではありません
あなたの全エネルギーを情熱をたっぷりと
観察することに注がなければなりません
感情や思考のパターンや他者に対する態度
ラベンダーやマリーゴールドの花々の美しさ
鳥のさえずりや川の流れや風の優しさ
静かな木々の内側に流れる水の音
空に雲が解けゆく瞬間の美しさ
スーパーのレジの人やご近所さんの表情…
こういった周りで起きていること全てに
あなたは鷹のように気づいていなければなりません
1つの思考も逃さず気づいていなければ
新たな生に出会うことはできません
というのは思考こそは過去の運動だからです
今に生きることを邪魔しているのは思考です
それを野放しにしているかぎり
あなたは過去に生きることになります
鋭利な観察、情熱的な観察なくして、
歪みなく見ることはできないので
自己を正しく理解することはできないし
自己理解なくして現在(いま)に生きることはできません
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