概念・偏見から自由でなければ事実を直視できない

2020/05/06

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偏見は人間が理解し合うことを妨げる


私たちは沢山の偏見を持っています。

世論や教育などによって、
偏見は養われ強化されてきました。

そして偏見が人間関係に入り込むと、
人はお互いを理解することができなくなります。

ですから他者を理解するためにも、
私たちは偏見から自由でなければなりません。

人生にとって非常に重要なものになっている、
意見や偏見から自由にならなければなりません。





偏見は人を分かち対立を生む


私たちの持っている偏見が、人を分かちます。

そして分離があるところには必ず、
対立・衝突があります。

偏見に根ざした憎悪を、
特定の国に対して抱く人は、
その国と一体化した人とぶつかります。

東洋に誇りをもつ人は、
西洋に誇りをもつ人と対立します。

つまり偏見をもっているかぎり、
私たちは分離し対立するのです。





概念が人間を傷つける


概念は英語でidea と言いますが、
idea には真実の姿という意味があり、
『見る』が根源です。

しかし私たちがやっていることは、
事実を見てそこからある要素・側面・性質を、
抜き出し、その概念を追い求めています。

つまり事実を見るのではなく、
抽象化した概念を追い求めているのです。

私たちが概念を追い求めているというのは、
事実ですが、概念は事実ではありません。

あなたが日本人であるというのは幻想ですが、
日本人であることにあなたが誇りを持っている、
というのは事実です。

あなたが日本という国と一体化し、
私が中国という国と一体化するかぎり、
〜あなたが日本人、私が中国人であるかぎり〜、
私たちはお互いを傷つけ合います。

この部族崇拝、島国根性崇拝が、
人間を、世界を、破壊しています。

私たちが事実として受け入れた幻想が
他者を傷つけ破壊するのです。

ですから幻想ではなく事実のみと、
関われないものでしょうか?

偏見や概念といった幻想ではなく、
あるがままの事実を見ることはできませんか?

というのは事実は決して分離を生まないからです

分離を生まないので、対立や衝突は生じません。

つまり、争いから自由になるには、
事実に直面することが大切なのです。

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事実を直視する


事実と関わることはできますか?

偏見や考え、信仰や幻想や観念によって、
事実を解釈するのではなく、
あるがままの事実を見て、
事実が語ろうとしていることを、
理解することができますか?

私たちが理想を持っている、
というのは事実です。

では理想とは何でしょう?
理想とは事実ですか?

・共産主義者の理想
・悟らねばならないという理想
・非暴力という理想
・............

理想はあなたの偏見を通過したもの、
あなたの条件付けられた頭脳によって、
認可されたものです。

そして限定された思考から生まれるものは、
それが崇高な理想でも限定されているので、
部分は必ず、矛盾・対立もたらします。

このように理想は対立や矛盾をもたらすのに、
なぜ仏教徒として、キリスト教徒として、
日本人として、東洋人として、理想を持つのでしょう?

もしかすると脳は幻想なしにはいられないのでしょうか?

脳は物事をそのあるがままに見て、
理解する強さ、活力を持たないのでしょうか?

現実には存在しない幻想を形作って、
それを追いかけるのではなく、
事実を見ることはできませんか?

というのはいかなる概念〜理想・信念・信仰・偏見〜も、
人と人を分かち争いをもたらすからです。

だから人は概念から、自由でなければなりません。

ある組織や国家と一体化することで、
別の組織や国家と対立してしまう、
概念から自由でなければならないのです。

ですから理想や信念、信仰や偏見で、
混乱した脳ではなく、
自由な脳をもつことは可能でしょうか?

なぜなら重荷を背負っていない自由な脳、
健全な脳だけが事実を直視して理解し、
適切に行動することができるからです。

分離や対立を決してもたらすことのない、
全体的な行動をとることができるからです。





内部に深く潜る


なぜ独自の意見や偏見をもつのか?
なぜ理想にしがみつくのか?
なぜ信念や信仰を大事にするのか?
なぜ国や理想、観念と一体化するのか?
なぜ恋人や家族と一体化するのか?

このように自らの内部に潜って、
自己を追い込みましょう。

上記のような神経症的な行いの背後にある、
願望や恐怖を捕まえるまで、
内部に深く深く潜りましょう。

そうすると私たちは自分というものを、
理解し始めます。

真実とは神秘的なものなどではなく、
事実を観察することで明らかになります。

事実それ自体が、真実を明らかにするのです。

ですからありのままの自分から、
始めなければなりません。

概念(理想の自分)ではなく、
事実(現在の自分)からスタートするのです。

ありのままの自分
 ↓
・偏見で一杯の私
・愛国主義の私
・怒りっぽい私
・観念や信念・思想で一杯の頭脳
・理想を追い求める私

事実からスタートすることで、
人は真実を手にします。

ですからあるがままの自己を理解することは、
とても大切なのです。

脳科学者や心理学者、グルから学ぶのではなく、
宗教書や聖書から学ぶのでもなく、
あなた自身を歪みなく観察することによって、
自分という人間を理解しましょう。

こうして自分のことを理解していくにつれて
あなたは人類を、世界を理解します

というのはあなたは人類の代表であり、
世界に見てとるものは全て、
〜醜さ・不純さ・暴力性・残虐性〜
あなた自身だからです。

つまりあなたが自分のことを理解したら、
世界を人類を理解したことになるのです。

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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