許せない人必見! 怒り・憎しみはこうして手放す

2020/05/22

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A 怒り、憎しみ、悲しみを全て手放せたら
  どのように人生は変わりますか?

私 今とは全く違う生き方になります

  怒り・憎しみ・悲しみから解き放たれると
  心は軽やかになるから途方もなく透明で
  驚くほど生き生きしてきます



A しかし自分の言動も他人の言動も許すことは
  とても難しいです

私 許すとはどういうことでしょう?
  許す・許さないを決めるのは誰ですか?



A 私です

私 厳密に言えばそれはあなたの思考です

  つまりそれは自己・エゴ・自我です

  相手の過去の言動を吟味して「許す/許さない」を
  決めるのは思考であり自我です

  自我とはあなたがいつも『わたし』と
  呼んでいるものです

  あなたは思考そのものだから
  あなた=感情=思考=エゴ=自己となります

  ※『自我・エゴ・自己の正体



A そうですね

私 相手を許すというとき許すのは思考であり
  自我ですが思考が動き回っているかぎり
  相手に対する怒りも憎しみも悲しみも
  消えることはありません

  だって思考が動きまわっているということは
  怒りも悲しみも憎しみも健在ということですから

  思考の動き=自我の動き=感情の動きですからね..



  だから許そうと努力するのは無駄な行為です

  というのは....

  怒りを感じて傷ついたのと同じエゴが
  今度は許そうと努力しているわけですが
  エゴのすべての運動が止まなければ
  怒り・憎しみから自由になれないからです

  感情から自由になるには思考が止まねばなりません

  許す・許さないを決定するエゴの運動が
  ストップしないとダメです

  自我の運動さえ止まれば
  相手を許す必要なんてなくなります

  ※『思考を見つめて苦しみから脱出する
   『許すのではなく傷つけられた過去を手放す



A なぜ許さなくてよくなるのですか?

私 思考がストップすると自我も消滅するので
  許すことのできる「わたし」はもういません

  傷ついたのがエゴなら傷つけた相手を
  許そうとするのもエゴなのです

  だからエゴに取り組めば全て解決します

  ですから許すことなんて考えずに
  感情を見つめて手放せばよいのです

A 確かにそうですね



私 ただ感情を手放す前に手放して得られるものを
  私たちは先に知りたがります

  これは心の常套手段です

  ・穏やかな心を手に入れるために瞑想する
  ・マザーテレサのように自己を犠牲にすれば
   神に出会えるから奉仕する
  ・贅沢な暮らしのため勉強する

  このように私たちは行動する前に
  報酬やメリットを見越して行動します

  いつも心は快を求めて彷徨いますが
  この貪欲さが怒りや憎しみ、悲しみの
  温床だと理解することがとても大切です

  というのはあるがままの心を理解するまで
  感情を手放したくてもできないからです

  また..怒りや憎しみを抱えたままでは
  いつまでたっても過去から自由になれず
  新しいものにも出会えません

  ※『心は理解すると変わる
   『感情からの自由:思考が感情に命を吹き込む



A 新しいものって何ですか?

私 新しいものとは現在という未知のことです

  過去の感情を引きずっているあいだ
  あなたは過去に生きることしかできません

  過去を手放さないで生きることは
  アメ玉を口に入れたままアイスクリームを
  食べようとしているようなものです

  過去を手放さなければ現在を十分
  味わうことはできないのです

  過去で両手をふさがれては現在がもつ
  生の美しさに触れることはできません

  ※『刻々と変化する生とパターン化された心



A 怒りや憎しみを手離せたら
  どんなにいいだろうと思う反面
  これまで積み上げてきた価値観や生活を
  捨てることになるかもしれない、
  自分が変わると友達は離れるかもしれない
  と思うと過去を捨てる勇気が出ません

私 勇気は必要ありませんが理解は必要です

  勇気を必要としているということは
  過去を抱えて生きることの危険を
  あなたは理解できていません

  危険を察知したら即、離れるでしょうから...

  ですから過去を抱えて生きることの危険を
  しっかりと見ましょう

  ※『過去から自由になって今に生きる



  それと...積み上げてきたものって何ですか?
  価値観とは何でしょう?

  あなたが積み上げてきたものは
  すべて過去のものではありませんか?

  これまで蓄積してきた知識や経験、価値観は
  すべて過去に基づいていませんか?

  ※『積み上げない生き方
   


  思考は経験や知識に支えられています

  経験や知識がなかったら考えることも
  価値観を持つこともできません

  思考はあなたの経験や知識の堆積物であり
  その中身は過去です

  そして個々の経験や知識、価値観というのは
  非常に限定されています

  私もあなたも自分の意見や価値観、知識に
  なぜか結構な自信をもっていますが
  それは個人のちっぽけな経験や知識の
  産物でしかありません

  あなたはこのようなちっぽけなものを
  手放すことを恐れているのです

  なぜでしょう?

  それは知識や経験、価値観が
  あなたの一部になっているからです

  あなたという存在の一部を失うように感じるから
  手放すことが怖いのです

  しかしそれは単なる過去です
  
  あなたはそれを私に見せることはできません

  なぜなら単なる概念・観念で事実ではないからです

  ※『一体化することは危険
   『価値観を捨てると自由に生きられる



A しかし思考は必要でしょう?

私 勿論です

  生の一部において思考は大切な役割を担っていますが
  大部分において思考は有害です
  
  仕事や勉強、コミュニケーションをとる際
  思考は非常に役立ちますがそれ以外の領域では有害です

  なぜかというと思考は過去だからです

  現在は未知の領域にありますが
  人はいつも現在を思考という過去で対処します

  現在を過去で対処するとズレが生じます

  過去と照らして現在を解釈したって
  現況は以前経験したものとは違うので
  現在と過去のあいだで矛盾が生まれます

  ※『思考の役割・役目



  あなたの持っている価値観・知識・経験が
  現実を歪めて解釈するからズレが生じるのです

  人間関係の場合それは喧嘩という形であらわれ
  感情においては思考の解釈と実際の感情とが
  ぶつかって葛藤が生まれます

  つまり思考が現在に出会えなくしているのです

  過去を抱えているかぎり現在には出会えません

  ※『現在と知識のあいだのズレ
   『知識の正体:いつも不完全で偏りのある知識



A 過去に抱いた感情から自由になることで
  愛することができると思うのですが
  愛についてはどうお考えですか?

私 仰るとおり過去の感情に囚われたまま
  愛することはできません

  事実を歪みなく見つめることによって
  愛が生まれるわけですが正しく観察するには
  思考に沈黙してもらわねばなりません

  というのは思考は過去だからです

  過去(思考)に邪魔されると現在(事実)を
  観察できないから...

  頭の中で引っきりなしに思考が騒いでいる状態で
  事実を見つめることはできません

  ※『思考が静まると愛が流れ出す



  愛が生まれるには過去が止まねばなりません

  愛は現在における活動です

  過去を引きずった心では愛せません

  過去から自由なあなたには愛があります

  一切の過去~憎しみ・悲しみ・嫉妬・恐怖・苦しみ
  経験・価値観・信念・イメージ・知識~ から
  自由になると愛は姿をあらわすのです

  過去を抱えて生きることの危険を理解することで
  愛は生まれます

  努力ではなく、愛は理解によって生まれるのです 
  
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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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