質問
自分は生きている事が許されない人間だと感じています
通信制高校に通っていたこともあり
私には「普通」の人になりたい
という強いコンプレックスがあり
その思いもあって一般入試を経て大学に合格しました
この経緯から「普通でいること」に対して
強烈な固定観念のようなものがあり
見えない世間の目(世間体)やレールから外れることに
恐怖心を抱きながら生きてきました
大学を卒業後、モラハラ上司の被害を受けました
しかし「ここで辞めては普通の人間として
生きられない」と考え2年耐えました
耐えられたのは趣味があったからです
しかし趣味も諸事情により続けられなくなり
心の支えを失ったことで、心は壊れてしまいました
世間の目に怯え生きている事が申し訳なく
消えてしまいたいと自死ばかり考えていたときに
優しい精神科の先生に出会い精神病院に通院し始めました
(コロナで自粛中)
今の私には、将来に対する願望など一切なく
今日一日を生きることに精一杯という状態です
ですが私の中の「普通でなければいけない」
という固定観念が暴れ出す時があります
私の中で今、暴れている固定観念は
「女性は結婚して子供を持つべき」論です
私は結婚願望、出産願望がありません
なので将来の孤独死に向けて
独身老人の終身サービス等を利用しよう
このまま老いていったとしても
他人に迷惑をかけないよう準備しておこう
と変な前向きさはあります
ただ社会保障制度・年金制度問題に対して
子供を持つ親からの
「将来の年金を他人の子供の世話になるのか」
という耳が痛すぎる言葉など…
現実に言われた訳ではなく
言ってしまえば半分妄想ではあるのですが
このような意見を持つ人が多いのではと…
私は考えていて「生きててごめんなさい」
という気持ちになってしまいます
そういった言葉は感情論から発される言葉であるもの、
と聞きましたので、内閣府の調査報告書や、
厚生労働省の社会保障財源に関する資料など、
データを分析することで心を沈めています
自分の心を沈め自分を守る為
データを分析し反論を構築する…
簡単に言うと、一切楽しくない苦しい作業が
常に頭の中を占有しており
無駄に頭の中で言葉だけが駆け巡り
今日はベッドから起き上がることも出来ませんでした
ごめんなさいという思いで、頭がおかしくなりそうです
どうか助けてください
あなたの文章をまとめてみました
✓生きていることが許されない・申し訳ない、
という思考に苦しんでいる
✓【普通】と【実際の自分】の間で葛藤している
✓「普通の人の生き方」から外れることが怖い
✓「普通の人は仕事を辞めない」という観念を持っている
✓趣味が心の支えだったがそれがなくなり心が壊れた
✓精神科医に出会い再び心の支えを得たが、
コロナ自粛中のためまた心が不安定になる
✓孤独死に向けての準備に前向き
✓「女は結婚して子を持つべし」という観念に苦しめられている
✓世間に浴びせられそうな言葉を想像すると、
生きてて申し訳ない気持ちになる
あなたは事実ではないことに苦しんでいませんか?
普通 vs. 実際の自分
普通の生き方 vs. 自分の生き方
結婚すべき vs. 結婚願望のない自分
思考 vs. 自分
右の部分は事実ですが、
左の部分は概念や観念で幻想です。
つまり事実ではないものと比較して、
その狭間で葛藤し苦しんでいます。
わかりますか?
あなたは実在しないものと闘っているのです。
空気と闘って打ちのめされているのです。
もう少し詳しく見ていきましょう。
あなたが気にしている「普通」とは何ですか?
社会の言うところの「普通」を追い求めているのですか?
大学に行って就職してそれなりのお給料をもらって、
いつかは結婚して子供を持って幸せになることが、
普通の生き方だと思っていませんか?
あなたが普通を追い求めるかぎり、
結婚するまで、子供を持つまで、
劣等感を抱えて苦しむのではないですか?
普通という概念を信じていると、
劣等感や恐怖心を抱えて生きていくことになります。
よく見てください。
「普通」とは概念で事実ではありません。
しかしあなたは「普通」という入れ物に、
自分を押し込めようとしています。
あなたという刻々と変わりゆく存在を、
丸い穴に打ち込もうとしています。
これでは痛みを感じるのも当然です。
あなたが持つ「普通」のイメージと、
実際のあなたとの間にズレがあるのは当然なのに、
あなたはこのズレで苦しんでいるのです。
あなたは実在しないズレで苦しんでいるのです。
この事実をあなたは見ることができますか?
あなたは生きていてイメージはそうではないので、
ズレがあって当前です。
変化するものとしないものの間に、
ズレ・摩擦が生じるのは当然なのです。
もしあなたが普通というイメージと”ピタリ”なら、
あなたはもはや生きていないのです。
あなたは刻々と変化しています。
一秒前に流れた川の水は一秒後と同じではないように、
一秒前のあなたと現在のあなたは微妙に、
しかし確実に違うのです。
流動しているあなた自身を固定された概念に、
収めることなんてできないのです。
あるがままの自分を強制的に、
特定の形に変えようとすることは暴力なのですよ
そんなことをしたら誰でも壊れてしまいます。
このことをしっかりと見て、
あらゆる概念/観念を一掃しましょう。
実際に存在するのはあなただけ!
取り組むべきは実際のあなたであって、
概念や観念ではありません。
だから事実以外のガラクタ(概念・観念・理想)を、
片付けましょう。
結婚して子供をもつべき!というのは単なる観念です。
概念/観念は言ったら死物です。
生きていません。
しかしあなたは違います。
あなたは生きています。
あなたは今この瞬間にも変化しています。
あなたは結婚して子供をもつべき、
という枠に収まりきれない自分を恐れています。
規格外の得体の知れない自分を恐れているのです。
しかし最初から規格などというものは存在しないのです。
穴に形がなければ合わない釘はないように、
最初から規格などないわけですから、
規格外なんて存在しません。
あなたはアメーバのようにいつでも自由に形を変えていいんです。
一つの型にはまらなくてもいいのです。
変化しなければ、生きているとは言えないんです。
あなたという日々流動する存在を、
鋳型に流し込もうとするとズレが生じて、
苦しみや葛藤が生まれます。
なぜなら心はいつも自由でいたいからです。
それを阻まれたら、痛みを感じるのは当然です。
観念や概念は心の自由を奪うのです。
この事実をしっかり見ましょう。
観念/概念に従うことの危険を見ると、
人はそれを自然に手放します。
ですから概念/観念があなたを苦しめている、
という事実をしっかりと見ましょう。
すると危険な場所には近づかないように、
あなたは概念/観念から離れます。
今日一日を生きることに精一杯だということですが、
それが誰にとってもベストです。
明日のこと、過去のことに囚われていては、
今日に全力を注ぐことはできません。
でもね、概念や観念に従っていては、
今を生きることなんてできないのです。
どういうことなのかこれから見ていきましょう。
頭の中のおしゃべりは、事実ではありません。
言葉は概念であり事実ではありません。
思考の中身はこれまでのあなたの経験や知識が、
記憶として脳に貯えられたもので、
それは全て過去に基づいています。
つまり思考は過去の総体です。
だから頭の中で言葉が駆け巡っているとき、
あなたは過去に生きているのです。
あなたは〈いま〉を生きてはいないのです。
これでは頭がおかしくなるのも当然です。
なぜならあなたの肉体は現在〈いま〉にあるのに、
頭の中は過去のことで大忙しなのですから!
現在は現在で対処する必要がありますが、
殆どの人は現在を過去で対処します。
あなたもそうです。
事実はあなたに結婚願望がないということ、
恋人がいないということです。
あなたがこれからずっと一人である、
将来孤独死するというのは事実ではありません。
なのにあなたは一生一人だった時の事を考えています。
よく観察してください。
あなたは事実から離れて、思考に心を奪われています。
結婚願望がない・恋人がいない、ということが事実であるのに、
事実にとどまらずに将来をアレコレ考えています。
子供を持つ人にどう思われるだろう?
どのように非難されるだろうか?
世間の厳しい目にどう立ち向かおう?
あなたはこのように考えては、
必死にデータを集めています。
自分自身の心を静めるために、
これらのことをやっているわけですが、
心を不安にしているのはあなた自身なのです。
心の不安はあなたが事実から離れたから生じたのです。
この事実をしっかりと見ましょう。
あなたは事実に対処しているのではありません。
将来起こるかもしれないことに、対処しています。
将来起こるかもしれないことは、
実際起きていることではないので事実ではありません。
つまりあなたは事実ではないことに、
心を頭を悩ませているのです。
あなたがあるがままの事実〜
結婚願望がない自分、恋人がいない自分〜
から離れて思考に走ったが為に、
不安や恐怖は生まれたのです。
自らの思考から生じた不安や恐怖で、
あなたは身動きがとれなくなっているのです。
ご自分のやっていることがわかりますか?
将来のことをアレコレ考えることで、
「生きててごめんなさい」という気持ちになっています。
あなたの思考があなたを追いつめているのです。
事実があなたを追いつめているのではありません。
あなたが感じている悲しみや不安や恐怖は、
あなたが事実から離れたために、
起こったのだということを理解しましょう。
あるがままの事実と共にいるとき、
不安や恐怖が入り込む余地はありません。
あるがままの自分にとどまるとき、
あなたを苦しめるものは何一つ存在しません。
あなたが一日一日を事実と共に生きるなら、
あるがままの自分にとどまって生きるなら、
あなたの心は過去から解放され、
自由に伸び伸びとしていられるのです。
概念や観念に心が苦しめられることなく..
事実と共に生きることが、不安や恐怖から自由になる鍵です。
〈いま〉起きている事実と向き合うとき、
思考や概念や観念が割り込むことはできません。
全エネルギーを現在〈いま〉に傾けるとき、
途方もないエネルギーが、
あなたの心を過去から解放します。
最後にもう一つだけ
心の支えが趣味から精神科医に変わっても、
恋人やスポーツに変わってもそれがなくなると、
心は元の状態に戻ります。
ですから外部のものに頼るのではなく、
あなた自身の心と向き合うことが大切です。
あるがままの心に取り組まなければ、
問題の根っこは解消されません。
なぜなら不安・恐怖・コンプレックスは、
あなたの心から生じたのですから!
だからあるがままの心を観察しましょう。
あるがままの心(事実)にとどまりましょう。
そうすればあなたは他のどんなものからよりも、
自分の心から計り知れないほど多くのことを、
学ぶことができます。
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