生きるとは注視すること、聴くこと

2019/09/13

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生きる上で大事なことは、
過去という鏡を掲げて現在を見るのではなく、
過去という鏡を下ろして現在を観察すること、

聴くこと、出会うことではないでしょうか?

これは先日の記事の一部をコピペしたものですが、
これに対して質問をいただきました。

質問
誰もが初めての状況に出会い人や物事を観察しているので、
あなたが言うこことが生きる上で大切だという
理由がわかりません。
何か深い意図があれば教えてください。


過去の投稿:思考〈過去〉ではなく事実〈現在〉を見る・聴く





私たちは過去に生きている



過去という鏡を掲げて現在を見るとは、
今起こっている状況に一番近い過去の状況を
脳内コンピューターから探し出して、
それで現況に対応するということです。

このようにしている限り私たちは、
現在に在ることも、物事を歪みなく、
見ることも聴くこともできません。

現在〈いま〉に在ることができない、
つまり現在〈いま〉に生きることはできず、
過去に生きることになります。




あなたが映画を観ているとします。

あなたは似た感じの映画を観たことがあります。

しかし内容は似ていても今見ている映画の登場人物は、
過去の映画の登場人物とは違います。

彼らの言動も置かれた環境も、
同じように展開するわけではありません。

ですから過去に観た映画をたよりに、
今見ている映画の展開を予想しても
予想通りに進むわけではありません。

映画のストーリーを理解するには、
堪能するには、その映画をしっかり、
観なければなりません。

過去にみた映画に思いを馳せていては、
登場人物の言動一つ一つに、
耳を傾けることはできません。





注視するということ、聴くということ



生きるとはこのように、
目の前に繰り広げられる出来事を、
そっくりそのまま見ることであり、
それは過去という眼鏡をかけていてはできません。

想像してください。

あなたが聴力を失ってしまったら....
目の前の相手をしっかり見ようとしませんか?

対象物が何であれ、あなたの観察には、
ものすごいエネルギーが注がれるでしょう?

あなたが視力を失ってしまったなら....
相手の声に非常に敏感になりませんか?

鳥のさえずりに太陽の光に、
目では見えない人の優しさに敏感になりませんか?

声のトーンやため息などの相手から発せられる、
どんなに小さなサインでも、
聞き漏らさないようにしませんか?





五感をフルに働かせる



目の前の人やものを全注意を払って観ること、
聴くことが生きる上で、非常に大切です。

なぜなら五感がフルに働いているとき、
人は今に生きることができるからです。

目の前の相手に全エネルギーを傾けるとき、
私たちが知りたいことは、見ること、
聴くことの中で、全て明らかになります。

過去を大事に持ち歩く必要はありません。

きちんと見ていれば、
何かを信じる必要はありません。

見つめようとしないから、
私たちは過去という眼鏡に頼ろうとするのです。

自分が混乱しているから、
信念や観念が必要となるのです。

しかし目の前の人や物と向き合って観察すると、
あなたは物事がはっきりと見えているので、
知識や記憶や観念に頼らなくても、
明晰でいられます。

真実は見ること・聴くことによってのみ、
明らかにされるのです。

人はクリアなとき、
経験や知識や理想など必要としません。


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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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