質問
私自身は自分というものがまるで見えていないように、
思っているわけなんですがどうしたら、
自分自身というものがよく見えるようになりますか?
見ることに方法や法則はない
見ることに方法などあるのでしょうか?
私たちは子供の頃から問題が生じると、
方法や解決策を求めるよう条件付けられているので、
見るというシンプルな行為にさえ、
方法を求めてしまいます。
しかし見ることに方法などありませんし、
教えることのできる指導者もいません。
観察・注視すること、気づきを、
何らかのプラクティスを通して鍛錬することはできません。
気づきを教える学校やセミナーがあるそうですが、
そんなものはナンセンスです。
スポーツ観戦が好きな人が、
どのようにして見ればよいかなどと訊ねないでしょう?
見方を学ぶためのセミナーなんかに参加しないでしょう?
欠伸の仕方を習う人など一人もいないように、
見ることは見る対象に関心さえあれば誰にもできます。
※ 情熱・関心が思考を観察するには不可欠である
新しいものを見て学ぶということ
私たちは教えられることに慣れています。
指導者や専門家の出した答えを受け入れることに、
慣れているので、自分自身で見出す力がいつの間にか、
衰えてしまいました。
先生や教科書に頼り、哲学書や心理カウンセラー、
僧侶や仏典に答えや教えを乞ううちに、
自分で答えを見出そうとはしなくなりました。
しかし本当に大切なことは、
誰かに教えてもらえるものではないのです。
本当に大切なものは、自分で学ぶものです。
そしてこのような学びは、
知識として蓄積され得るものではありません。
あなたが今日、自己観察によって学んだものは、
明日には一切、通用しません。
だから今日学んだものを知識として蓄積しても、
何の役にも立ちません。
明日のあなたを理解するためには、
明日のあなたを刻々と観察することによって、
新たにゼロから学ばなければなりません。
なぜならあなたは日々変わりゆく存在だからです。
生き物は刻々と見て理解されねばなりません。
過去の聖者が自己観察によって学んだ知識は、
あなたを理解することの助けにならないばかりか、
却って邪魔になります。
なぜなら過去である知識は、
現在における観察を歪ませてしまうからです。
主観的な観察ではない観察
関心のあるものには、自然と意識が向かいます。
ですからまずはあなた自身を理解することに、
関心を持ちましょう。
そうすればあなたは何のプレッシャーもなく葛藤もなく、
自発的に思考や感情に注意するようになります。
内なる流れを思考のナレーション抜きに、
じっくりと観察するようになります。
ここで心に留めていただきたいのは、
思考が作動している間は主観的な観察しかできず、
歪みなく観察することはできないということです。
※ 思考・過去・自己から自由な純粋な観察
これは難しく考える必要はないのですが、
注視しているつもりでも、
思考が邪魔してくることがよくあります。
そのときには思考の運動を注視することで、
主観的な観察を回避することができるので、
いつでも注視するようにしましょう。
心の動き・思考の動きはこうして見る
褒められたときの反応、貶されたときの反応、
悲惨なニュースをテレビで見たときの、
自分の反応に刻々と気づいていましょう。
私たちの心や思考は関わることで動くので、
心や思考の運動に気づいてさえいれば、
あなたは自分のことがよく見えるようになります。
どのようなことに敏感で、
どんなことに反射的に反応するのか、
何に対して恐怖を持っていて、
どんなことに不満を感じているのか、
自分自身の心の隅々まで嫌という程、
あなたは知ることになります。
その醜さ、美しさを見つめます。
それを否定したり正当化していては、
思考を作動させることになるので、
心にあるものをただ見つめます。
このように刻々と内側を観察することによって、
あなたは自分というものを理解します。
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