A 自己実現のためにはしっかりと勉強しなければ
  言葉による理解は不要だと悟ることはできない
  というパラドキシカルな有り様というものに
  どのような思いを持たれますか?

私 ナンセンスだと思います

  自己実現というと何か特別な人のためのもの
  という印象を与えてしまいかねないので
  ここでは自己理解という言葉を用いたいと思います

 『全ての思考は自由ではありえず古い存在である
  ことを十分に理解するときに生まれる沈黙が
  自己理解をもたらすわけですがこの沈黙は
  思考の器である言葉によっては生まれません

  簡単に言うと、あらゆる過去(知識を含む)を
  一掃したときに自己理解は生まれます

  知識や経験がいっぱい詰まっている精神を
  既知なるもの(過去)から空しくすることは
  蓄積の終わりに起こるのではなくむしろ
  知識を蓄積しないことを意味します

  もっとシンプルに考えてみましょう!

  なぜ最終的に落とさねばならない知識を
  獲得しなければならないのでしょうか?

  持たないものは捨てられないからですか?



A 知識を蓄積するというプロセスを踏まなければ
  知識を超えることはできないと言われています

  まずは知識を蓄積しその1つ1つを丁寧に
  検証していく過程において知識を持つことの
  危険を洞察することができると言われています

私 仰りたいことはわかります

  それは伝統的な考えであり現在も多くの真理探求者
  瞑想実践者に受け入れられています

  しかし私たちは伝統に盲目的に従うのではなくて
  それが本当かどうか調べなくてはなりません

  そこでこのような問いが生まれます

  知識をもつことの危険を洞察するために
  知識は必要なのか?という問いです

 『知識は重たい荷物を背負って生きることであり
  それは事柄を新しく体験することを妨害する』

  このことを理解するのに知識が要りますか?

 『知識の増殖、拡がりは時間そのものであり
  知識は時間を超えたものを捉えられない』

  このことを理解するのに知識は本当に必要ですか?

A …


私 知識で真実は掴めないことを理解するための
  知識が必要とは何ともおかしな話ではないですか?

  私たちはドラッグに手を出さなくても
  ドラッグの危険性を理解することはできますし
  戦争を体験せずともその残酷さは十分に理解できます

  知識を蓄積することの危険を理解するために
  まず知識を獲得しなさいとはドラッグの危険を
  知るためにドラッグに溺れろと言ってるような
  ものではないですか?

  『傷つけることは良くない』とわかるから
  あなたは人を傷つけないのではないですか?

  それとも

  人を傷つけるというプロセスを踏まなければ
  傷つけることの暴力性は理解できませんか?

  心理的側面における知識を頭に詰め込むことは
  不要であるばかりかかえって危険であるという
  事実をみれば知識を貯めこむ習性は終わります



A しかし自己知識は自己を理解するために必要でしょう?

私 はい、ただ自己知識というのは
  知識を蓄積することではなく
  自己についての絶え間のない学びです

A 自己についての絶え間ない学びとはどういうことですか?

私 自分自身について学び、自分自身を見つめることです

  自分がどんな風に歩きどんな風に食べ
  どんな風に語るかを刻々と見つめること
  そして怒りや憎しいが心を占領したときには
  それを見守り自覚することです

  自己についての絶え間ない学びは
  知識として貯えることではありません

  知識を携えて生きることの危険を洞察すると
  今日1日、観察を通して学んだ自分のことを
  知識として貯めこむことも明日に持ち越すことはありません

  今日の知識は今日手放します

  つまりあなたはご自分についての知識を
  蓄積することはないのです

  これが真の意味でのヴェーダーンタであり
  知識の終わりです

   ※自己知識については絶え間のない学びをお読み下さい



  既知を抱えたまま既知から自由なもの
  ~知識・思考・時間を超えたもの~に
  出会うことはありません

  過去という重荷を背負ったまま
  本当の自分を探し求めたり
  至福を体験することを願っても
  その行為、その願望は過去に
  着色された意識の叫びであり
  過去という時間に条件づけられた意識で
  物事の本質を掴むことはできません

  意識が条件付けられているかぎり
  その意識が希求するもの、体験する真理は
  条件付けられた意識の産物に他なりません

  人は知識を手放さないかぎり知識を超えたもの
  無条件のもの、未知のものには出会えないのです

  ですから今すぐ知識を捨てましょう

  危険区域から離れましょう

  最初の1歩(知識を捨てること)が大切であり
  貯えた後に知識を捨てる最後の一歩ではないのです

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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