質問
他人と比較するから成長できるのではないですか?
物差しがないと分からなくないですか?
成長とは? 物理的成長と精神的成長
まず成長とはどういう意味でしょう?
物理的成長のことですか?
・お金を稼ぐ能力を身につけることですか?
・語学を学ぶことですか?
・脱税についての悪知恵を育むことですか?
・他者を搾取することですか?
・持っているお金を増やすことですか?
・美しい肉体を手に入れることですか?
それとも内面の成長のことですか?
・心の美しさ、純粋さ
・優しさ、思いやり、穏やかさ、愛
内面的な成長であるなら
ブログでも何度かお話している通り
時間を必要とする精神的成長はなく
変わるときは瞬時に変容します
時間を伴わない変容についてはコチラ↓をご覧ください
『心理的に何かになりゆく時間は存在する?』
比較するということ
私はあなたと比較します
聡明で能力の高いあなたと比べると
私は自分のことを馬鹿で無能であるように感じます
あなたと比べることで
私は自分を馬鹿で無能だと判断したのです
判断したものを注意深く観察することはできません
つまり自分のことをバカだと言った時点で
私は自分のことを理解できなくなるのです
※『結論を手放して「わからない」から始めよう』
比較しないときようやく自己理解が可能になる
では比較しなければどうでしょう?
私は自分のことを馬鹿で無能だと判断できますか?
できません、判断材料がないからです
するとどうなりますか?
自分が自分であること以外わかりません
だから私は『わからない』から始められます
バカだと判断したときにはない情熱が
自分のことを理解したいという情熱が生まれます
自分のことがわからないので
自分自身のこころを注意深く観察し始めます
するとこの注意深い観察によって
ありのままの姿が明らかになります
だから自分について理解できるようになります
注意深い観察によって知識不足だとわかったなら
私は知識を深めればよいだけの話で知識を
得るために他者と比較する必要などないのです
自己観察によって優しくないことがわかったなら
その優しくない心にとどまることで
優しくない心は霧散するのであって
比べるから優しくなるのではありません
わかりますか?
比較しても何にもならないのです
比較によって成長することなどありません
あなたが変わるのは自分自身をよく見つめて
理解するときだけなのです
※『自己理解について』
比較は自己理解を阻む
私があなたと比べ自分を馬鹿だと判断した瞬間
自分への探究は終わるのです
自分のことを判断・評価してしまったら
私はそれ以上知ろうとはしません
私の関心・情熱は自分自身ではなく
どうしたらあなたより聡明になれるか
どのように能力を高めていくかに向かいます
私の関心は人や方法へと移ります
これでは自分を見つめている暇などありません
つまり比較しているかぎり私たちは
自分自身について理解することはできないのです
自己理解が行動を促して変化をもたらす
私たちは他者と自分を比べることで
自分自身についてより深く理解できると
思い込んでいますが比較は自己理解の
妨げにしかなりません
あなたの思考や感情の微妙な動きを、
刻々と観察することによって
『あるがままの姿』は明らかになり
あなた自身について理解するようになります
そしてこの自己理解から行動は生じるのであって
比較によってではないのです
比較と精神的成長は全く関係がありません
比較がもたらすものは醜い感情
他者と比較することを止めるのは
比べることの虚偽を見るときだけです
比較をすることの愚かさを見るときだけです
ですから比較が何をもたらすのか一緒に調べましょう
比較がもたらすもの
・競争心、攻撃性、暴力性
・嫉妬、憎しみ、怒り、恨み
・傷心、落胆、苦しみ
・自己否定、自己嫌悪
・劣等感、優越感
・傲慢さ、冷徹さ
このように比較することであなたは醜い感情を
抱くようになります
そして醜い感情は心を精神を破壊します
ですから比較が精神を破壊することを見てとり
比較という危険物から離れましょう
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比較を止めるには比べることの危険を見ること
比較・競争を手放し劣等感・攻撃性・嫉妬から自由になる
劣等感、自己否定、自己嫌悪、妬みの原因は「比べる」ことにある
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