孤独は自由から、孤立は利己性から生まれる

2020/05/05

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質問

”人は孤独では生きてはいけない”
”どんな形でも人との繋がりを求める”らしいです。

人は孤独では生きてはいけないのでしょうか?




私は逆に、人は孤独でなければ、
本当に生きているとは言えないと思いますが、
どのような結論でも結論に至っていては、
孤独について深く探究することはできないので、
これから一緒に調べていきましょう。





孤独と孤立の違い



多くの人は、孤立と孤独を混同しているようです。

孤立感は『自分は他者とは異なる』という、
思考が作り上げた信念から生まれますが、
孤独という言葉は英語でもaloneと言うように、
all+one(全ては一つ)という意味を持ちます。

孤立感とは、自分を他者と切り離し、
自分の快楽、自分の成功、
自分の幸せを、自分の家族の幸せを、
ひたすら追い求めることによって、
感じる感情であり、これは私たちの、
利己心から生まれます。

そしてこの孤立感を、
私たちは孤独として恐れています。




一方、孤独とは精神的に自由であることです。

私たちは精神的にひとりあらねばなりませが、
ひとりあることは孤立ではありません。

ただひとりあるとは、利己的で冷酷な世界、
暴力と貪欲と競争に満ちた世界から、
自由であることです。

恐怖や苦しみ、嫉妬や憎悪、
怒りや暴力、欲望から自由であることです。

葛藤や混乱の温床から自由であることです。

つまり孤独とは利己性から自由であることなのです。





ひとりきりではいられないことが苦しみの原因?



私たちが感じる多くの苦しみや悲しみ、惨めさは、
私たちがひとりではいられないことに由来します。

独りになることへの恐怖から、
恋人や結婚に安定を求め、
究極の安全を与えてくれる存在(神の愛)や、
観念や悟りにすがります。

しかし私たちは決して自分の恐れた心を、
解決してはいません。

怯えた心・不安な心、安定を求める心を、
結婚や恋人や神で覆っただけなので、
その心は新たな苦しみや悲しみ、
惨めさを人生にもたらし続けるのです。

つまり殆どの災禍は、
ひとりきりではいられないことに由来するのです。

私たちは少しでも孤独を感じると、
〜実際には孤独ではなく孤立ですが〜
一人ぼっちになることへの恐怖から、
人や物や観念や娯楽やセックスで、
心を満たすことに忙しくて、恐れる心を直視しません。

自分の持つ孤独のイメージに怯えて、
孤独から逃げるばかりで、
私たちは怯えた心を直視しないのです。

ですから私たちは孤独のイメージを、
持っているだけで、孤独を知らないのです。

常に何かで心を満たしているので、
空っぽの心に生じる孤独を知りません。

私たちが知っているのは、
心が恐怖や欲望や寂しさで一杯のときに、
感じる孤立感だけなのです。





ただひとりあるということ



孤独とは、恐怖を含めあらゆるものから、
精神的に自由であるときに、
感じられるものであり、
自分と他者という分離はないので、
普通考えられているような、
寂しさや苦しみはそこにはありません。

孤独と共に生きることができるのは、
恐怖がないときだけです。

孤独とは自由な心であり、
常に新しい心、天真爛漫な心の状態です。

ですから孤独を理解するためには、
人は権威から偏見から観念から、
自由でなければなりません。

心のガラクタを一掃しなければ、
孤独を知ることはできません。

恐怖や願望といった利己性から、
思考という自我から自由であるとき、
人は『全体』という感覚を味わいます。

全体であるという感覚が、
ひとりぼっちであるという感覚なわけはないですし、
恐ろしい感覚でもありません。





新しいものに出会う・今に生きる



記事の初めに『人は孤独でなければ、
本当に生きているとは言えない』
と言いましたがそれは、心が経験や観念、
偏見で一杯のときには、
新しいものに出会えないからです。

過去がたくさん詰まった心で、
現在に会うことはできません。

心がすっかり過去から解放されるとき、
人はようやく現在〈いま〉に出会うことができます。

それは心が空っぽで孤独で、
何ものにも影響されないときに起こります。

心が空っぽでさえあれば、
一人のときでも家族といるときでも、
人は孤独になることができるのです。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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