情熱・関心が思考を観察するには不可欠である

2020/04/15

エネルギー 情熱 気づき 観察 思考 利己的な私 理解 洞察 事実

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質問

思考を観察・注視するというのが
よくわかりません

どのようにしたら思考を
観察することができますか?




観察するということ



興味のあるもの、大好きなものを
〜絵画やジュエリー、愛車や恋人、
自然や動物 etc〜観察するとき
あなたはどのようにしますか?

大好きな人を見つめるとき
相手の表情や仕草、
声のトーンに目や耳を澄まして
注意を払いませんか?


大好きな人を眺めるときには
誰かにどのように観察すれば
いいかなどとは訊ねないのでは
ないですか?

相手を好きだという気持ちが..
もっと知りたいという想いが
観察という行為となって
あらわれます

つまりあなたは教わらなくても
大好き人を詳細に観察することが
できるのです

相手がどのように笑い
どのようなことに怒るのか
話し方や食べ方や歩き方
好きな食べ物や趣味
身につけている服や靴など
細部にわたって
相手を観察します

大好きな人がすること
全てに気を配ります




観察の対象が何でも同じです

繊細で美しいジュエリーを
観察するときあなたは
それを慎重に手にとり
前から横から斜めから
下から上からと
全方向から眺めます

観察対象に関心があるとき
あなたは時間をかけて
その美しさを全知覚で
感じようとします

同じようにあなた自身の思考を
観察することはできませんか?




関心・情熱というエネルギー



思考を観察するにあたって
必要なものがあります

それが関心・情熱です

そこであなたに質問です

愛する人を眺めるときと同じ情熱が
思考を注視するときのあなたに
ありますか?

ないのでは?

何故このようなことを言うかというと
どのように思考を観察したらいいか
わからないというあなたの質問が
あなたの関心・情熱のなさを
示しているからです


思考を観察しても上手くいかないのは
そのことに対する関心・情熱が
ないからです




情熱・関心が観察を可能にする



情熱がなければ活力は生まれないので
思考を注視することはできません


注視できなければ思考はこれまで通り
馴染みのパターンを繰り返します。

ですが....

大好きな人を理解したいという情熱が
相手を理解するエネルギーを
生み出すように情熱があれば
思考を観察することは
可能なのです

関心のない人に全注意を
向けたりしないように
あなたが自分の思考を
観察することにあまり
関心がないのなら
あなたの観察に思考を
焼き尽くすだけの
パワーはありません

つまり...

あなたの本当の問題は
観察方法ではなく情熱の欠如です

ですからどのように情熱が生まれるか
見ていきましょう




自己観察・世界に対する情熱



そもそも思考を観察しようと
思ったのはなぜですか?

私の場合はこうです

世界で起きていることを
歪みなく眺めました

現実を直視して
感傷的になるのではなく
あるがままの事実を直視しました

戦争、競争、暴力、差別、貧困、無関心
冷酷さ、貪欲さ、宗教間の争い
思想と思想・主義と主義の対立
人間関係の浅はかさ、
動物に対する残酷さ etc...

これらをよく調べると
全ては人間の利己性に
起因することがわかります

つまり...

自分の利己性を片付けなければ
世界は変わらないことに
私は気づいたのです

そして利己性を片付けるには
自己理解が不可欠であり
その為には絶え間なく
自己を観察しなければならない
つまり、思考を観察する必要が
あることを理解しました

※『自己理解について
 『自己理解は自己観察により生まれる
 を併せてお読み下さい




自分の利己性が
世界に多くの深刻な問題を
もたらしていることがわかると
自己を観察することをこれ以上
先延ばしにすることはできない!
早く手を打たねば!と強く思います

すると身体はたちまち熱くなり
全身にパワーがみなぎります

「今の自分」が「今の世界」であり
「自分の変容」は「世界の変容」
 であることがあなたにとって
 明白な事実なら情熱は生まれます




情熱的な観察が思考を消滅する



思考を観察することへの情熱、
自分を理解することへの情熱
世界を変容することへの情熱が..

この情熱をもって思考を観察します

大雑把にではなく慎重に
思考・感情の動きを
観察していきます

醜い思考にぶつかっても
それから逃げず
思考全体を注視します

そのことへの緊急性・情熱・関心
思考をありのままに観察する力を
生み出しそしてその情熱的な
観察によって思考は消滅します

ですから思考を観察するための
秘法があるわけではないのです

※『気づきに方法はない
 を併せてお読み下さい




あるとすればそれは
情熱をもつことです

世界に対して、人類に対して
情熱・関心をもつことです


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☆☆


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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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