感情からの自由:知覚にとどまる、感情を注視する

2020/05/18

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質問

感情的になる人は「自分は感情的になっている」
という自覚はあるのでしょうか?

怒っているとき、怒っているという自覚は
あるのでしょうか?




まず感情と知覚の違いを明確にしましょう。

恋人や友人、家族との関わりを通して、
怒りを感じたとします。

あるいは将来のことを考えていたら、
急に不安や恐怖に襲われたとします。

説明上「怒り」「不安」「恐怖」、
という言葉を用いていますがこの時点で、
あなたの身体に起きていることは、
「怒り」や「不安」や「恐怖」ではありません。

では何が起きているのでしょうか。

体中が熱くなったり、
顔が真っ赤になったり、
あるいは真っ青になったり、
ゾクゾクしたり、
震えが止まらなくなったり、
冷や汗をかいたり、
胸がドキドキしたり....

このようなことが起きています。

これが知覚です。




知覚の後に思考が作動して、知覚に名前をつけます。

「あっ、これは前にも経験したぞ」という具合に

思考は過去に抱いた感情と照らし合わせて、
現在の知覚を 「怒り」とか「嫉妬」
「恐怖」とか「不安」と認識します。

知覚に思考が作用して生まれるのが感情です。




このように知覚の直後に思考が入り込みます。

これが殆どの人に起きていることです。

感情的になる人はその自覚はあるか、
というあなたの質問ですが、
これは実はとても複雑な質問、
というかトリッキーな質問です。

だから最初に知覚と感情の違いを説明したわけですが、
質問文中の”感情的”というのが、
ここで説明した感情であれば、
(思考が知覚に作用して生まれた感情のことであれば)
感情的になる人に自覚はあります。

思考が”怒り”や”不安”と認識したのですから、
自覚はあります。

しかしもしあなたの言う”感情”が、
顔が真っ赤になるといったような、
純粋なる知覚を指しているなら、
そこに自覚者はおらず知覚だけがあります。

つまり知覚が感情的な行動に、
発展することはありません。




大抵の人は自覚しながら、感情のままに振る舞います。

しかし感情をコントロールする冷静な人も、
思考が知覚に介入するという点では、
感情のままに行動する人と変わりません。

違いは、思考が感情を正当化するか、
ブレーキをかけるかだけです。

つまり、どちらも思考の言いなりなのです。

感情に任せるか抑制するかを思考が選択し、
私たちは思考の決定通りに行動します。




感覚が長く持続することはありませんが、
殆どの人が感情に支配されてしまうのは、
思考が知覚に介入してくるからです。

思考は過去に感じた気持ちと今の気持ちを結びつけて、
それを「孤独」や「寂しさ」「恐怖」や「嫉妬」と、
名付けますが、名付けられることで、
当の感情は強化されます。

つまり言葉が気持ちを強めるのです。

「死」や「病気」といった言葉によって、
恐れという感情が刺激されるように、
思考が感覚を乗っ取った瞬間に、感情は強化されます。

つまり人が感情にいつまでも支配されるのは、
思考が頭の中で何度も何度も、
過去に抱いた感情を再現するからです。




さて、あなたがいつもやらないことを、実践しましょう!

友達と喧嘩したとき、イライラしているとき、
不安や恐怖、孤独を感じているとき、
その感覚にとどまりましょう。

感覚にとどまると思考は介入せず、
感覚だけが残ります。

このように知覚にとどまることができれば、
知覚が感情に移行することはありません。

顔は真っ赤になるかもしれない、
震えや冷や汗が少しの間、止まらないかもしれない!

しかしこれは生き物なら当然です。
感覚器官が正常に機能している証拠だから..

感覚にとどまると、思考が介入するときのように、
感覚は長く続くことはありません。




想像してください!

真夏に冷たいシャワーを浴びたときの感覚を...

あなたはリフレッシュしますよね?
でもその感覚は長くは続きません。

怒りという感情になる前の感覚も、
不安という感情になる前の感覚も、
それと同じです。

どのような感覚もそうですが感覚にとどまると、
数十秒で消えます。




そうは言っても知覚にとどまることは、
そう簡単ではありません。

感覚を思考で解釈することに私たちは慣れているので、
思考を介さずに、知覚にとどまることは簡単じゃない!

でもいいんです。

思考が知覚を「怒り」として認識したとしても、
そのことに気づけばいいのです。

怒りという感情を注視すればいいんです。

感情を注視すると、感情は霧散します。

なぜなら感情を注視するとき、思考は作動しないから!

だから思考から生まれた感情も、
思考が止むと同時に消えます。

こうして感情を注視することで、
あなたは感情と思考の両方を、
同時にやっつけることができます。




「怒りがピークに達したから言わせてもらうわ!」
「感情が抑えられないからぶちまけるわ」

こういう人がいますが、これはもう確信犯です。

なぜなら彼女は感情を自覚していながら、
怒りを相手にぶつけようとしているのだから!

知覚が生まれた直後に思考が働いて、
思考が怒りを正当化し、
怒りのまま行動するよう促します。

これであなたが満足ならいいのですが、
思考や感情に支配されたくないなら、
思考や感情から自由でいたいなら、
知覚に十分な注意を払いましょう。

知覚に注意を払うと、思考と感情の関係が、
はっきり分かるようになります。

するとあなたは知覚だけでなく、思考にも敏感になります。

そして感情から思考から、自由になります。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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