自己放棄は精神性を高めることに関心のある人々には
馴染みのある言葉ですが自己を放棄しようと
しているのはいったい誰なのでしょう?
よく考えてください
「真理に達するには自己が終わらなければ...」
と主張するのは誰なんでしょうか?
自己放棄の手段を求めているのは誰ですか?
自己放棄の実践として
奉仕や瞑想を実践しているのは誰ですか?
それは…
あなたが放棄したくてたまらない「自己」
ではありませんか?
関連記事:正しい秩序ある全体的行為
自己そのものであるあなたが
どうやって自己を放棄できると
いうのでしょう?
あなたに語りかけているのは
あなたの思考であり思考は
あなた自身ではありませんか?
思考はあなたを思考者として切り離しましたが、
思考から生まれたものは思考に違いありません。
あなたが自己であるとき、
あなたにできることは
実は何ひとつないのです。
自己を放棄しようという試みは
自分の影を消そうとするようなものなのです
関連記事:思考の正体を洞察する
内部の二元性の不在についての対話
多くの方がこのことに気づかずに
ありとあらゆる方法で
自己に働きかけをしています
奉仕、瞑想、苦行、断食
世俗を離れ僧侶になる、
山に籠る、全財産を寄付する
などなど様々な形をとって…
しかしこれは真理に達したいという
願望そのものである自己が
引っ切りなしに活動しているだけ!
あなたが自己と切り離された
別の存在なら自己に働きかけることは
できますがあなたは自己そのもの
なのでなんにもできません
宗教は神・仏・救済者という
概念を作り出して
それに委ねることによって
自己から解放されると
主張しますが
自己は委ねるものと
一体化してその中で居続けます
神の名の下、自己はエネルギッシュに
活動し続けるのです
関連記事:利己性は巧妙に隠れている
私・自己・セルフ・自我とは何か
真理探究者の多くは自己放棄の証として
世俗を捨てますがその行為者こそ
自己です
ここであなたに質問です
あなたは自己を放棄したあとに
もらえるであろう褒美がなくとも
自己を放棄するでしょうか?
『真理に至る』というボーナスが
もらえなくとも自己放棄しますか?
あなたには手に入れたいものがあるから
自己放棄をするのではないですか?
もしその答えがYESなら
その自己放棄には動機があります
そして動機は自己の働きであり、
自己が活動しているかぎり
そこから願望が生じます
つまり…
自己を放棄するという行為そのものが
自己を強化することになるのです
関連記事:動機なしの観察
自己放棄の実践は、痩せるための食事制限や
スポーツ選手が強くなるためにお酒やタバコを
のまないことと大きな違いはありません
「○○は満足感を与えてくれるから、
苦しい思いはするだろうけど△△は放棄しよう」
○○ 悟り △△ 自己
○○ 痩せた自分 △△ お菓子
○○ 勝利 △△ お酒orタバコ
↑
このような行為は自己犠牲でも
自己放棄でもありません
なぜならそこでは自己は
欲望のままに活動しており
自己放棄という言葉が
含みもっている執着や
欲望とは無縁の状態から
かけ離れているからです
つまり…
【自己放棄の実践】は執着と欲望が
渦巻いている利己的な行為です
関連記事:自己中心的な行為
ではどうすればいいのか?
自己が止まなければ利己的な行為は止まない、
ということは過去の記事でも検証しました
ですから自己放棄という行為そのものが
利己的であることは理解されていると
思いますが、ではどのようにしたら
自己から自由になれるのでしょうか?
関連記事:自己・自我・私の中身
自由に生きる:思考・過去・自己からの自由
ちょっと待ってください
この質問は正しい質問でしょうか?
この問いは自己から自由になる方法について
訊ねています
よく考えてください
なぜ自由になる方法を
知りたいのでしょうか?
それは自己から自由に
なりたいからではないですか?
しかし…
方法のあるところ、必ず動機や願望があります
そして願望があるかぎり
自己からは自由になれません
というのは願望は自己そのものだからです
関連記事:瞑想法を疑う・調べる
真の瞑想とは動機のない瞑想
このことに気付くと、何が起こりますか?
何もできない・どの方向にも進めないことが
わかると何が起こるでしょうか?
ご自身で体験してください
読み進めながらあなたの内部で
起こっていることを観察して
ご自分で答えを見出してください
何もできないことを悟ると
自己は静かになります
自己の働きは止みます
これまでせわしなく動き回っていた
自己は静まります
関連記事:注視が自己を暴く
自己の危険性を洞察すると
その洞察からそれは沈黙します
そこに二元性は存在しません
自己を放棄しよう・コントロールしよう
とする第三者はいません
気づきが自己に働きかけます
火が危険だと気付いた子どもは
火には近づきませんよね?
それは気づきが彼に働きかけて
火に近づかないという行為を
促すからです
同じように自己の危険にたいする
気づきが自己に働きかけます
こうして気づきにより自己は霧散します
気づき・注視のあるところ
自己は呼吸できません
注意散漫なとき自己は
思考という形をとって活動しますが
気づきがあると自己は止みます
自己は気づきという光の
届かないところでしか
活躍できません
気づきという光に照らされると、
自己という暗闇は消えてなくなります
関連記事:気づきとは?
自己放棄は意志や努力によって
なされ得るものではありません
「真理への到達」という目的があるとき
自己放棄は起こりません
自己の危険性を洞察するとき
それは起こるのです
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努力・葛藤・抑制のない自由な生
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