今朝投稿した記事の中で、脳の条件付けに気づかずに生きると
世界そして私たちはどうなっていうのか、
皆様と共に見てきました。
関連記事:脳の条件付けに気づかなければ....
「しかし私ひとりが条件付けから自由になっても、
そのことがどのように社会に影響するのだろう?」
と疑問を感じる方々がいらっしゃるでしょう。
ご想像通り、おそらく殆ど影響しないでしょう。
しかし筆者はこう問いたい!
なぜ影響しなければならないのでしょうか?
影響を与えるためにやるのですか?
○○をしたら●●を得るというような動機や
快不快・賞罰から行動するのですか?
もしそうであればそれは思考を基にした行為で、
限られた思考が考え出すことは何であっても
必然的に矛盾・混乱を生みます。
関連記事:全体性・ホールネス
思考から自由な理性的・全体的な行為
少なくとも筆者は社会に影響を与えるために、
条件付けに気づくことの緊急性・重要性を
伝えているわけではありません。
何かの結果を出そうとして、行っているわけではありません。
誰かに認められたいと思ってやっているわけでもありません。
ただそれが正しいことだと感じるからやっているのです。
そこに動機や野望はありません。
関連記事:動機は自由な探究を阻む
動機や願望のない自由な観察
利己性や貪欲さが蔓延した社会の不健全さを目の当たりにし、
その不健全さが私たち一人一人の内部から生まれたものだと
感じるので、各々が自らの内面に目を向けることの
緊急性を伝える必要性を感じているのです。
そして願わくばこのような対話を通して、
〜少なくとも筆者は読者の方と対話しているつもりでいます〜
私とあなたが各自の反応に気づくように助け合いながら、
条件付けから自由になれたらいいなと思っています。
関連記事:自己を強烈に見つめる・観察する
脳の条件付けから瞬時に自由になる
それを唯一可能にするのは、
私があなたと意思疎通したいと強く感じているように、
あなたも同じように感じているときです。
そのとき、私の用いる言葉は放っておいて構いません。
[私の言葉]にではなく[私]にあなたが心を開くとき、
私たちは言葉を超えて分かり合うことができるのではないでしょうか。
関連記事
アテンション・注意とエネルギー
0 件のコメント:
コメントを投稿