殆どの人が他者との間に一定の距離をとる
私たちは他者と、一定の距離をとろうとします
親しい間柄であってもそうです
他者から距離を踏み越えられることを極端に恐れ
常にガードを固めています
私たちは頑丈な壁を築いた後、その壁越しに
物事を見たり相手を観察したりしています
壁の内側から手を伸ばして他者と関わっているのです
これが本当に関わるということでしょうか?
『このラインまではいいけどここから先は入ってこないで』
という暗黙の了解がまるであるかのように…
こうして同僚、家族、友達、恋人と付き合います
『自分の領域』『他人の領域』は存在する?
しかしなんとも利己的でビジネスライクな付き合いではないですか?
『誰にも入られたくない領域は自分にもあるから
人のそれを尊重することは礼儀だ、当然だ』と
あなたは反論するかもしれません
しかし本当にそうでしょうか?
ここでは意見や結論は脇において
侵されたくない領域というものが
本当に存在するのか、検証しましょう
※結論や意見を脇に置く理由は
それを持っていたら探究できないからです
関連記事:結論は探究心を殺す
分離は思考の仕業
一定の距離をとろうとしているのは誰ですか?
他者との間に線を引くのは誰ですか?
自分の領域と相手の領域を分けたのは誰なのでしょうか?
領土と同じようにそれは思考の仕業ではありませんか?
侵してはならない領域を作ったのは
私たち自身の思考ではないですか?
関連記事:思考の正体を洞察する
自己・自我・私の中身
どんなに偉大な人物の思考であっても
思考というものは利己的で自分に都合の良いものです
この利己的な思考が『自分』をガードするために
【自分の領域】というものを作りました
あなた自身の内面を深く探って
これが真実かどうか確かめてください
関連記事:利己的な思考を観察する
心理的に『私』と『あなた』は分離していない
領域や境界線といったものは本当に存在するのでしょうか?
私たちは普段自分のことを「わたし」と呼びますが
この「わたし」も思考の産物であるように
他者との間の壁も思考が作り出したのではないですか?
空気を分けることなんてできないように
私とあなたは最初から分割不可能だというのに…です
勿論私とあなたは物理的に分かれています
しかし私たちを分かつのは肉体だけです
私たちは見た目こそ違いますが
似たような思考や感情、知覚を持っていませんか?
誰もが苦しみや悲しみ、孤独を知っているのは
私たちが心理的にひとつながりだからです
心理的に別々だと感じる理由
ではなぜ私たちは別々だと感じるのでしょうか?
それは区別したり比較することが得意な思考が
学歴や名声、地位や財産、知識や経験と同一化して
他者との差別化を図ったからです
こうして自我は膨れ上がりました
他者と自分を分離したエゴが
「僕は特別で人とは違う」と主張するのです
自分を学歴や名誉で飾り立てた結果
他者との間に分離が生じたのです
つまり思考は本来あるはずのない領域を
人と人のあいだに作ったのです
関連記事:外側の装飾
個人=分割不可能 私=分割可能
領域の正体は何?
そうはいっても自分の領域、他人の領域は存在するように
誰もが感じていることでしょうから領域の正体を
これから一緒に見ていきましょう
私たちが土足で踏み込まれたくない領域とは
一体どのようなものなのでしょう?
誰にも知られたくない過去ですか?
内面に隠し持っている真っ黒い部分ですか?
怒りですか? 嫉妬ですか? 憎しみですか?
それとも誰にも触れられたくない悲しみですか?
仮面の裏に隠し持っている本性でしょうか?
関連記事:自己という仮面
実体のない思考が実体のない領域を作り出した
私たちが何を守ろうとしているかを明らかにすると
守ろうとしているものが実体のないものだと
いうことがわかります
私たちが守ろうとしているのは幻想です
エゴが傷つくことを恐れてガードしているのです
自我(エゴ)は思考そのものであり
したがってエゴに実体はありません
思考が作り上げた『わたし』というエゴが
傷つけられることを私たちは恐れているのです
つまり幻想という実体のないものが傷つくことを
私たちは恐れているのです
上手く伝えられているでしょうか?
実体のない思考が実体のない領域を作り出しました
思考は本来限られていることから
『私』と『あなた』の間に分離を築きました
超えてはならないラインを作ったのは思考なのです
そして自己防衛のために築いたこの壁が原因で
私たちは人と真に関わることができなくなっています
おかげで誰にも言えない深い寂しさを抱えて
多くの人が生きています
安全を得るために思考が築いた壁が原因で
私たちの人間関係は危機的状況にあるのです
関連記事:人間関係を見つめてその薄っぺらさを暴く
分離が薄っぺらい関係の原因
相手の領域を侵さないように注意を払った結果
私たちの会話の殆どが表面的になりました
他者を傷つける可能性ゼロの会話だけ、
楽しく盛り上がれる話題だけになりました
楽しく盛り上がることがいけないと言っている
わけではありません。
ただ相手とのあいだに透明の壁があるかぎり
深い関係を築くことは難しいとお伝えしているのです
あなたの本当に人と関わっていますか?
ご自分がどのように人と関わっているのか
これを機会にきちんと理解しましょう
『優しさ』と『恐怖』は共存できない
心を閉ざした交流から優しさは生まれません
怯えた精神は優しくないですし自由でもありません
怯えた精神が開放的ではあり得ないからです
あなたが怯えているかぎり誰かと本当に関わることは
できないのです
怯えていれば必然的に他者と距離をとりますし
恐怖が行動を決定するので親密な関係は築ないからです
分離が孤立・寂しさの原因である
一定の距離がないと不安で正気ではいられないと
いわんばかりに私たちは一定の距離を保つ必要性を
強調しますがその距離・その領域こそが私たちを
孤立させていることに気づかなければなりません
実際には存在しない線を超えてしまうことや
立ち入られることを恐れながら他者と
関わっているという現実と向き合いましょう
そしてそんなことをしていては人と深く関われない
ことを理解しましょう
存在しないものを恐れて生きることの愚かさに
はやく気づいてください
関連記事:寂しい人は人間関係を見直そう
分離があるところ、優しさはない
恐れがあるかぎり人と本当に関わることはできないし
思いやりや優しさを持つことはできません
他者と一定の距離間を保ちながら
他人に優しく接していると思っている人は
決してそうしてはいないことに気づきましょう
なぜなら他者と距離をとるということは
本来あるはずのない分離が存在すると
思い込んでいるということであり
分離があるところで優しさは息ができないからです
人間関係を理解すると関わり方が変わる
だから壁越しに優しく接しているつもりでも
それは決して優しさではありません
分離という幻想に生きているかぎり
人は自由であることも関わることもできないのです
人間関係を観察して自分がどのように関わっているかに
気づいて現在の人間関係をきちんと理解すると
幻想(分離)は止みあなたの持つ関係はガラリと変わります
関連記事
上辺だけの人間関係で満足ですか?
判断しないでありのままの相手を観察する
人間関係に必要不可欠なのは細心の注意・観察である
☆☆
相談を承っております
詳細はこちらをご覧ください
→オンライン相談について
0 件のコメント:
コメントを投稿