A 私は神経症です。
神経症とは
『細かいことに気をとられる』
『ネガティブに考える傾向がある』
『怒りや憎しみが起こりやすい』
ことを言います。
『人を変えようとする』
『自己愛が強い』
『不満を抱きやすい』ので、
街の真ん中で『俺の話を聞けー』
と叫んでいるようなものです。
あなたはこうした神経症をどう思いますか?
B 神経症であることに気づいておられるので、
あなたは賢明な方なのだろうと思います。
それにしても世の中をよく見ると、
殆どの人が神経症ではないですか?
自分のことばかり考え、自分のことばかり話し、
自分の快楽・成功・幸せ・精神的向上、
自分の悩みや苦しみのことばかり考えています。
このように頭の中は自分のことで一杯で、
自分という周りをグルグルと飽きもせず、
神経症的に行動していますが、
自分自身が神経症だということに、
気づいていません。
自覚している人は自らを神経症的に、
しているものを捨て去ることによって、
神経症を取り除くことができますが、
自覚のない人は気づくまで、
自己という車輪の中をひたすら走り続けます。
あなたは自覚されているので、
神経症を克服できたも同然です。
A 私は神経症であることが苦しく,
神経症に振りまわされる人生に、
疲れました。
例えば『人から事実を指摘される
(太ったねなどと言われる)』ときに、
怒りを感じます。
今は『相手から見たらそう見えるんだね』
程度に思えばいいかなというところに、
辿り着いてはいますが..
人の言葉を受け流す方法がありましたら、
教えていただきたい
B 受け流す方法を探るよりも、
あなたの何が傷ついているかを調べること
が大事ではないでしょうか。
事実を指摘されたのであれば、
本当なら何も傷つくことなどないわけです。
しかし実際に傷ついているのですから、
あなたの何が傷ついているのかを、
分かるまで調べてみなければなりません。
あなたは事実と異なる自己イメージを、
持っているのではありませんか?
そしてこの自己イメージが、
傷つくのではありませんか?
太ったという事実を指摘されて傷ついたのは、
自分はそこまで太っていない、
という自己イメージをもっているから、
ではないですか?
このように傷ついたものの正体を調べていくと、
自分が作り上げたイメージが、
傷ついていることがわかります。
このことに気づくと、
あなたはイメージ作りの危険を理解します。
イメージを持っているかぎり、
自分は傷ついてしまうということが、
今のあなたにはわかります。
イメージ作りが危険だと気づいたあなたは、
どのような自己イメージも持たなくなります。
想像してください、
あなたが自己イメージを持たなければ、
誰の指摘にも誹りにもお世辞にも、
影響を受けないのではないでしょうか?
自分は立派で頭が良くて人気者で美人だ、
という自己イメージを私が持たなければ、
反対のことを言われても、
傷つくことはありません。
かわりに私は、
相手の指摘が事実かどうかを、
調べることができます。
これまで傷つくことに使われてきたエネルギーが
事実を観察するためにここにあります
こうして調べた結果、
相手の指摘が正しい場合には、
事実だから傷つくことはありませんし、
また事実を私が変えたいのであれば、
知識を身につけたり、
優しくないところを取り除いたりして、
変えられることは変えればいいのです。
また、事実ではなかったら、
事実ではないことを、
気にする必要はありません。
このように自己イメージを持たないとき
私は事実のみを見つめることができます
相手の心ない言葉や、相手の表情、
侮辱したいという相手の気持ち、
全てに気づくことができます。
一方、自己イメージを持っていると、
心の動揺に囚われてしまい、
相手の言葉や表情や本心を、
ありのままに見つめることはできません。
ですから自己イメージを持たないことが、
事実を歪みなく見つめる為にも、
自分自身が傷つかないためにも、
大切なのです。
A 私は今、自己イメージを消し去るところに立っています。
これまで自分を支えていた『根拠のない自信』
がなくなったことに、心もとなさを感じています。
B 心もとさ、そうなのです。
人は心の不安を埋めるために、
無意識に自己イメージを次から次へと作り上げて、
何とか武装して安心しようとします。
しかし安心しようとしてこしらえた自己イメージが、
実際には傷つけてしまうのですから、
イメージが安心をもたらすというのは、
思考の大きな勘違いです。
自己イメージで心を一杯にして
不安を覆い隠そうとするのではなく
内面からイメージを追い出して空っぽにすると
あなたを傷つけることは、誰にもできません
他者の心ない言葉の矢は、
空中を舞って地面に落ちるだけで、
あなたに刺さることはありません。
これまでは自己イメージという風船に、
矢が刺さっていたので、
あなたは痛みを感じていましたが、
自己イメージという風船がない、
空っぽの心に、
矢が刺さることはありません。
あなたは神経症をどうにかしようと、
これまで色々なことを、
実践してきたことでしょう。
しかしもう終わりにしませんか?
というのはそれらの試みこそが
神経症的行動の一つだからです
ですからこれまでの試みに、
自己イメージを消すという、
新たな試みを加えないでください。
そうでなければ、
自己イメージを消そうという試みが、
神経症的行為になってしまいます。
あなたが現在抱えている神経症という問題から、
自己イメージを消すという新たな問題を、
作り出さないでください。
そんなことをしなくても、
あなたの何が傷つくのかを、
よく観察して理解すれば、
あなたの理解がイメージを払拭します。
意図的に自己イメージを消し去ろうとしなくても、
あなたの理解がイメージを取り除いてくれます。
寝癖は鏡をみたら気づきますが、
鏡を見なければ気づきません。
寝癖に気づいたら、
あなたの観察(鏡)が、
髪を整えるという行動をあなたに促します。
同じように、神経症的な言動を、
大きなスクリーンに映し出すことができたら、
そしてそれをきちんと観察することができたら、
あなたの観察があなたをすっかり変容します。
自己イメージがあなたを傷つけていたことが、
本当に...本当に理解できれば、
その理解がイメージを一掃するのです。
ですから大切なことは一つだけ。
自分が作り上げてきた自己イメージが
自分自身を傷つけていることを、
理解することです。
イメージがあなたの首を締めていることに、
気づくことです。
その気づきが、あなたが無意識に、
イメージ作りを行う瞬間を捉えて、
即座にイメージを解体します。
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