判断しないでありのままの相手を観察する

2019/11/28

関係 気づき 観察 思い込み 条件付け 思考 実践 利己的な私

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質問:人を判断するときに、
   一番重要視しているところはどこですか?


         ====


人を判断することはありません。結論に至ることもありません。
なぜなら判断することの危険を、理解しているからです。

ですので判断するとどうなるのか、一緒に見ていきましょう。





判断すると正しく観察することはできない



ひとたび判断すると私たちは、
相手を正しく観察することはできません。

判断した瞬間、観察にバイアスがかかってしまい、
ありのままの相手を観察することはできないからです。

いまの私は一ヶ月前の私と異なるように、
目の前にいる相手は、
私が一ヶ月前に会った相手とは異なります。

ですから一ヶ月前に下した判断は、
役に立たないどころか観察を歪めてしまい、
相手を理解することを妨げてしまうのです。

相手を判断し、何らかの結論に至った時点で、
私は相手を正しく観察することはできません。





判断した相手と交わることはできない



私があなたのイメージをもつとき、
あるいはあなたをカテゴライズするとき、
私はあなたを理解することはできません。

そしてあなたはというと、
心を開いて私のことを理解しようとしても、
既にイメージが固まっている相手と、
理解し合うことはできません。

一方が結論に至った時点で、
双方が交わることは不可能です。

私は過去のあなたの写真と対話し、
あなたは現在の私と対話しているので、
両者が交わることはありません。

過去にしがみついている私と、
現在に生きるあなたが関わることはできないのです。

判断していては、
私たちが真に関わることはできません。





変化に機敏でなければならない



私たち人間は刻々と変わっていますので、
自分だけではなく相手の変化に付いていかなければ、
自分のことも相手のことも理解することはできません。

目の前の相手としっかり向き合えば、
判断する必要はどこにもありません。

淀むことなく流れる者だけが、
変化に気づく機敏さ・繊細さを備えています。





一切の判断・イメージを手放そう



過去の相手の言動を現在に持ち越さずに、
またいつまでもイメージに縛られていないで、
現在の相手を観察して理解しましょう。

決めつけ・判断・イメージは主観に基づくものであり、
そのような主観的観察をしていては、
物事を正しく観察し真偽をつかむことはできません。

判断することの危険を見て、
判断することを止めましょう。





判断しそうになったときには....



それでも判断しそうになったときには、
その自分を注視します。

判断は思考が行うので、思考を注視します。

注視すると思考は消えるので、
相手のイメージを作り出すことなく、
主観的思考に惑わされることなく、
相手を正しく観察して理解することができます。

ここに書かれたことについても判断せずに、
実際に試して真偽をご自身で見極めましょう。




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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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