A 私は子供が苦手です。嫌いというのではありませんが、
子供ってまだまだ視野も狭くて、無邪気だから、
大人からされた対応に敏感に反応するでしょう?
大人ならそんなに傷つかないことでも、
子供は深く傷つくと思うから私にとって、
子供と接するのは非常にプレッシャーなのです。
私 ご自分の発言をよく観察してください。
普段、人と接するときに、
細心の注意を払っていないあなたは、
子供にはそうはいかないから、
プレッシャーを感じておられます。
あなたは普段人と接するときに、
あまり注意を払っていないという事実を、
この発言に見ることができます。
細心の注意・ケアは子供に限らず、
全ての人に対して必要ではありませんか?
人の心というのはとても繊細で、とても傷つきやすく、
壊れやすいものであることを理解するなら、
相手が誰であろうと、細心の注意を払うのではないですか?
繊細な花びらに触れるときのような慎重さや優しさで、
相手と接するのではありませんか?
A そうですね。自分のものと思って扱えば、
繊細な人の心を傷つけずにすむのかもしれません。
私 繊細な人に限らずどなたに対しても、
私たちは細心の注意を払うべきではないでしょうか?
注意を払うときのみ私たちは、
相手をきちんと観察することができ、
観察するから理解することができるのであり、
理解するから相手と関わることができるのです。
つまり細心の注意とは、愛であり関心であり優しさなのです
このような細心の注意がなければ、
私たちの言動に優しさや愛はありません。
ですので人と接するときには、子供でも大人でも、
お金持ちでも貧乏人でも、細心の注意を払いましょう!
私たちが細心の注意を払うときのみ、
その対象が何であれ表面的にではなく、
本来の姿を見ることができるのです。
酷い人ならその醜さを、優しい人ならその優しさを、
相手の職業や名声や地位に関わらず、
ありのままを見てとることができます。
細心の注意が、あるがままを明らかにします。
A しかし全ての人に細心の注意を払っていては、疲れてしまいます。
そのようなエネルギーが自分にあるとは思えません。
私 殆どの人はなるべくエネルギーを使うまいと、
相手に対する情報や相手の過去の言動を頼りに、
相手を観察し理解しようとします。
注意深く観察するかわりに、
知識(情報)で観察を補おうとします。
相手についての取扱説明書を予め作って、
それと相手を交互に眺めながら関わるというわけです。
このような関係に慣れている私たちは、
不断の観察が、関係するには不可欠だと言われても、
そうしている自分を想像するだけで、疲れてしまいます。
しかし本当に関わるためには...相手を理解するためには、
取扱説明書をシュレッダーにかけて、
現在の相手と向かい合って注意深く、
観察しなければなりません。
相手について知ることができるのは、
常に過去のことですが、見ること、すなわち、
注意深く観察することは常に新たなことです。
知ることは過去ですが、見ることは現在における活動です
人間関係とは人と人の間にあるものであって、
知識と知識の間にあるものではありません。
つまり関係とは現在におけるものであり
過去(知識)ではないのです
ですから現在における関係を築くためには、
目の前の相手をよく観察しなければなりません。
こうした鋭利な観察によって私たちは、
相手の中に新たなものを発見することができます。
このような関係は、常に新しい関係です。
これが人と関わるということなのです。
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