守るべきプライドなどない

2020/07/30

イメージ 概念 利己的な私 理解 洞察 事実

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「捨てるべきプライド」と
「守るべきプライド」が
 あると言われますが
 守るべきプライドなど
 本当にあるのでしょうか?

今回は...

・プライドの正体
・プライドを持つとどうなるか?
・なぜプライドを持つのか
・なぜ社会は私たちに
 プライドをもつよう促すのか

を調べていきます




プライドの正体



プライドとは何でしょう?

プライドとは自分のことを
誇りに思うことです

では自分(あなた)とは何でしょう?

あなたは過去の総体であり
それは自己に他ならないので
プライドを持つことは
『自己』に誇りを持つこと
と言い換えることができます



『自己』とはあなたが一体化
したものでありそれは
知識や経験、性別や国籍、
あなたの性格や個性
あなたの信念や理想などです

気づいているかわかりませんが
これらは実体のないものです

大事に持っているつもりかも
しれませんが実際に手で
掴むことはできません

実体のないものに私たちは
実体のないプライドを
持っているのです



私たちがどのようなことに
プライドを持っているかを
調べることによって
私たちが何と一体化していか
明らかになるので
プライドを書き出してみます



・沢山の事を成し遂げたというプライド
・1人で頑張ったというプライド
・子供を立派に育てたというプライド
・成功者としてのプライド
・知識や経験に対するプライド
・努力を惜しまないことへのプライド
・仕事にプライドを持つ
・能力にプライドを持つ
・精神性が高いことにプライドを持つ
・日本人としてのプライド
・男 or 女 or 妻としてのプライド
 etc....



上記のプライドはどれも
自分・自己に関わることです

可笑しくないですか?

どのような人の自己も
利己的であるはずなのに
多くの人は自らの自己中心性に
プライドを持っているのです




プライドを持つとどうなる?



プライドを持つということは
エゴを太らせることであり
つまりあなたはどんどん
自分本位になっていき
優しさや思いやりから
遠ざかっていきます

エゴと優しさは共存しないことは
過去の記事でお伝えしましたが
プライドと優しさも共存できません

プライドがあるとき
優しさや存在できないのです

またプライドは傲慢さの表れであり
傲慢さのあるところ謙虚さは
影を潜めてしまいます

※『エゴと優しさは共存しない
  を併せてお読み下さい




なぜプライドを持つのか?



なぜプライドを持つのでしょう?

なぜ私たちはプライドを内に
秘めているのでしょう?

それは内面(心)に不十分さを
感じているからです

満たされない想いを
抱えているからです

内から溢れ出る自信
というものがないから
自信を持とうと
心を概念で埋めようと
するのです

※『無垢な自信とそうでない自信
  を併せてお読み下さい




ありのままの心が乏しいため
私たちはプライドという鎧で
身を固めているのです

というのは....

もし心が満ち足りていたなら
もし心が豊かだったなら
知識や仕事や名声というものを
次から次へとくっつけて
心をきらびやかに
飾らなくていいから!

心が貧しいから
何かで心を覆わなければ
ならなくなるし
覆ったものにプライドという
ラベルを付けるのです



自分の仕事や行為に
プライドなんか持たなくても
日々誠実に働くことはできます

一体どこに
プライドをもつ必要性が
あるというのでしょう?



日本人としてのプライド
男 or 女としてのプライド
なんてよく言いますが
心の豊かな人はそのような
断片的なレベルで生きていません

日本人として、仏教徒として
男や女としてではなく
人間として全体的に生きています



心の豊かな人にとって
プライドはただの概念であり
自分を概念と一体化して
それを讃えるような
愚かなことはしません

ではなぜ猫も杓子も
プライドを持てと言うのでしょう?




社会はなぜプライドを持つよう促すの?



先ほどもお話したように
プライドとはエゴそのものであり
競争や貪欲さで成り立つ社会は
多くの人の利己心によって
生まれたのでそのような社会が
プライドを助長するのは
当然といえば当然なのです

人は自分のやっていることが
正しいと思い込んでいるので
大多数の自己中心的な人で
構成される社会は必然的に
利己性やプライドを奨励します

みんなに競ってもらわなくては
競争的な社会は成り立たないから
私たちにプライドを持てと言うのです



競争心もプライドも野心も努力も
すべて利己心から生まれます

だから利己的な社会は
「まずは自分の幸せを考えなさい」
「野心・理想・目標を持ちなさい」
「努力しなさい」
「プライドを持ちなさい」と
アドバイスするのです



ただその一方で
厄介なプライドは捨てろ
と主張するのですから
エゴとは矛盾に満ちています

利己心が損得勘定をし
向上心や競争心につながる
自分に都合の良いプライドは
大切にし、そうではない
プライドは捨てようとします



毒は毒でしかないのに
まるで良い毒があるかのように
守るべきプライドがあると
主張するのです

しかし事実は
どのようなプライドも
私たちを利己的にします

どのようなプライドも
私たちから他者を切り離します

自分を一段も二段も
高いところに置いて
そこから他者を見下げます

そのような精神は
思いやりや優しさといった
美しい性質を持つことはできません

人はプライドを持つことで
冷徹になっていくのです



ですからどのようなプライドも
人を利己的にするという事実を見て
全てのプライドを捨てましょう

勿論、あなたが誠実に優しく
思いやりをもって
生きたいなら...です

しかしあなたがただただ
自分の幸せや成功、
快楽を追求したいなら
エゴを膨らませるプライドは
あなたにとって必要でしょう




満たし続ける人生



私たちは常に何かを積み上げて
生きています

経験や知識、快楽やお金や名声
徳を積むための奉仕活動や
数々の真理体験で
心を満たします

しかし心を満たすことが
エゴを膨らませることなのです

心の中を知識や経験
偉大な業績で一杯にすることで
心はどんどん貧しくなっていくのです



しかしもしあなたが
積み上げているものの中身を
精確に観察することができたなら
それらは実体のない概念である
ことがわかります

プライドが傷つくなんて言いますが
何が傷ついたかというとあなたが
作り出した自己イメージが
傷ついたのであってそれは概念で
実体はありません

つまり....
自己イメージを手放せば
あなたは傷つかないのです

このことをしっかり理解しましょう



あなたがプライドの虚偽を見るとき
心を概念で満たすという行為
そのものが終焉します

するとあなたの心は
ガラクタから自由になります

そして心に空間が生まれます

※『積み上げない生き方
  を併せてお読み下さい




空っぽの心は自由な心



心にスペースがなければ
愛や優しさは入ってきません

物で溢れている部屋に
風が通らないのと同じです

空っぽの心こそが
満たされた心の状態であり
その心は何かを付け足す必要も
満たす必要もありません

このようにありのままの心が
満たされているとき
プライドは不要なのです



ですからあるがままの心を
見つめましょう

飢えている心
不十分さを感じている心
何かを得ようとしている心を
ジャッジしないで見つめます

あるがままの事実が見られるとき
心は即、変容します

つまり...

あなたの心の貧しさは
観察という光に照らされて
心から一掃されるのです

純粋な心はそれ自体で輝いており
人工的な光を必要としないのです


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