質問:人生を生きるための羅針盤は必要ですか?
羅針盤をもったまま生に出会えますか?
羅針盤は人が作ったものですが生は違います
生きるための羅針盤は聖者や哲学者、
宗教者が作ったものですが、生は違います
羅針盤は既知ですが生は未知です
知識は既知、つまり過去ですが
生は未知であり今この瞬間に存在します
生に出会うためには既知のものを
すべて取り払わなければならない
のではないでしょうか...
あなたについての取扱説明書がここにあるとして
私が暗記するほどそれを読み込んでも
それはあなたの過去の言動についての
記述であり現在のあなたとは異なります
過去(取扱説明書)で現在(あなた)を
理解はできません
過去という眼鏡をかけて見ているかぎり
その観察は過去に染まい、私は決して
現在のあなたと出会うことはありません
私があなたを本当に知りたいのなら
眼鏡を外してトリセツを捨てて
自分の目であなたを見つめなければ
なりません
聖典/観念/思想は既知であり過去である
羅針盤を持つと羅針盤が生より大事になります
羅針盤の針が指す方角に気をとられて
生が繰り広げる美しさに気づくことはできません
羅針盤は何かというとそれは
グルであり指導者であり
聖典、思想、観念であり知識です
これらに依存する者は決して自由ではありません
※『宗教に頼らない・依存しない』
自由がないときは新たな発見はできません
羅針盤に頼るとは過去に生きることになるので
現在〈いま〉を生きることはできません
現在〈いま〉に生きられないなんて
とても危険ではないですか?
現在に存在する美しさにも差し迫る危険にも
気づけないなんて危険でしょう?
あらゆる既知〈過去〉から自由なとき
~知識・仏典・観念から自由なとき~
人はようやく未知なるものに
出会うことができます
杖を手放して自分の足で歩いてみなければ
足裏に体重をのせて歩くことがどういうことか
わからないまま人生を歩むことになります
※『全ての杖を取り払う』
羅針盤は不安定をもたらす
羅針盤をもっていれば確実な人生、
間違いのない人生を歩めると
私たちは思っています
しかし羅針盤こそが私たちの人生を
不確実なものにしているのです
羅針盤は今を生きるのを邪魔するのですから
羅針盤が危険だというのは明白です
助手席に乗っている人よりも
運転している人の方があらゆることに
注意を払いませんか?
同じように羅針盤を携えている人より
なにも持たずに生きている人の方が
精妙な変化に気づける繊細さを
もっています
不安定の中に安定はある
バランスをとるためには自らを小刻みに
動かさなければならないように
未知という生を生きるためには
羅針盤ではなく生そのものを
見つめなければなりません
不安定な状態というのは多大な注意を
必要としますが全注意を払うからこそ
あなたは安定を手にするのです
※『不確実性と確実性』
このような注意は羅針盤をもって
安心しきっている精神にはありません
あらゆることに気づいている俊敏な精神
結論にも観念にも囚われない自由な精神が
今という未知を体験できるのです
※『既存宗教からの自由』
安定願望が安定を破壊する
安定を望むとき人は不安定になります
確実性は精神を鈍くするので
その人の歩む人生はまったく
確実ではなくなります
※『安定を求めるほど不安定になる』
『安定は既知ではなく未知の中にある』
羅針盤という確実性を手に入れて
一時的に安心できたとしてもそれが
あなたの精神を鈍感にして今という
この瞬間に出会えなくしてしまいます
何ものにも囚われない自由な精神は
非常に敏感で目覚めているので
今を生きることができるし
現在にある美しさを知覚できますが
羅針盤をもつ精神~確信している精神~は
〈いま〉を生きられないため
過去を繰り返すだけの人生を
送ることになります
それでもあなたは羅針盤を持ちたいですか?
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