質問

「死んだらどうなるの?」とか「人生の目的は?」
 という思考に意味があるのでしょうか?




問うことは大切です



問うことは結論に至っていない者にしかできないので、
その人には新たなものを発見する可能性がある、
という点において意味はあります。

死んだら天国or地獄へ行くと信じている人は、
死んだらどうなるのかという疑問さえ抱かないので、
死について真剣に考えることも、
何か新たな発見をすることもありません。

また「人生に目的などない」と思っている人も同じで、
彼らが人生について深く考えることなんてないし、
結論に至っている時点で新たな発見をすることもありません。

ですから新たなもの、未知なるものを発見する為には、
何にも結論を置かずにあらゆることを問うてみる
ことが大事なのです。

わからないという自覚のある者だけが
物事の真偽を問うことができます。





快を求めて現実逃避する!?



ただ死について、人生の目的について考え、
答えを求めている人の多くは、真剣に考えているわけではなく、
自分の人生があまりにも辛くて耐えられないために、
現実逃避をして答えに救いを求めているようなところがあります。

辛い状況、惨めな生き方が問題であったはずなのに、
抱えている不満や虚しさ、苦しさが問題であったはずなのに、
あるがままの現実を直視せずに、
生死の目的を探すことに逃避して
辛い現実を何とか忘れようとするようです。

これは私たちがひとえに満足を求めるからであり、
不快から離れて快だけを求めようとするからです。





深刻な問い? or 現実逃避?



たとえばあなたが好きなことをしているとき、
大好きな恋人と素敵な時間を過ごしているときに、
人生の目的や死後について考えますか?

決してそうではないでしょう?

もし答えがイエスならあなたは、
人生について死について真剣に考えています。
チャンスがあれば恋人や仲間と、
このことについて対話したいと思っている人です。

しかし殆どの人の答えはノーでしょう?

答えがノーの人は満足感を味うことさえできれば、
不満を拭い去ることさえできれば、
人生の目的なんて、死んだらどうなるかなんて、
本当はどうでもいいのです。

その証拠に彼らは楽しんでいるとき、
これらの問題についてすっかり忘れています。

私たちの不満が本物なら、
何をしているときにも不満の炎が消えることはありません。





ありのままを観察しよう



辛い状況からどうにかして抜け出したい、
なぜ人生は辛いのか理由が知りたい、
不満だらけの人生に何の意味があるのか、
という考えが頭をよぎるとき私たちは、
自分自身を注意深く見つめてみなければなりません。

自分自身の問題を人生の意義にすり替えずに、
ありのままの自分にとどまり観察しましょう。

自分自身の問題とはあなたが感じている不満、
虚しさ、絶望、悲しみ、苦しみです。



これらの感情にとどまり、
繊細なジュエリーを眺めるときのように、
自らの感情を丁寧に観察してその正体を掴むのです。

見つめることでその正体は明らかになります。

私たちが事実から離れることなくありのままにとどまり、
自らの内面を注意深く忍耐強く観察するとき、
その鋭利な観察がもつれた糸を解きほぐしてくれます。


〜最後に〜
質問文中にあった人生の意義についてですが、
記事タイトル下の写真の少年のように、
人生という川の流れを地図も道案内も持たず、
自分だけで進むとき、私たちは人生の意義というものを
見出すことができるのかもしれません。


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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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