宗教的に生きる:既存宗教からの自由

2020/03/02

エネルギー 情熱 愛 真理 自由 秩序 権威 神 真我 魂

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人は心に関心をもつと
自分の心にダイレクトに
飛び込まずにまずは
心について書かれた書物を手に取る

自分について理解しようとするときに
人はなぜ哲学書や宗教書を紐解くのだろう?

自分という最高の教材が
ここにこうしてあるのに
自分のことを知るために
真実かどうかもわからない
他人が見出した真理とやらが
記された書物を読み漁るとは
一体どういうことだろう?



人類の歴史全てが詰まった
あなたという資料が
ここにあるのに
そこには一切手をつけず
どうして人から教えて
もらおうとするのだろう?

君の怒りを理解するのに
どうして他人の言葉が必要なのだろう...





哲学用語や宗教用語を覚え
心理学を勉強して
人は沢山の知識を蓄える

そしてサンスクリッド語なんかを
使ったりして難しい言葉を
いくつも使って真理を描写し
真理を理解したとうそぶく



しかし彼らのやっていることは何だろう?

それは先人たちの言葉を
九官鳥のように
まねているだけではないか?

心のこと、真理のこと、愛のことを
分かった気になってはいるが
知識として手に入れただけのことだ

自分というもの
人間というものをすっかり
わかった気になってはいるが
自らの内部に深く潜ったのか?




内部に深く潜った者は、
哲学用語や宗教用語を使わない

深く潜った者は専門用語を使わない

何かを発見した者は
イデオロギーやプロパガンダ
伝統宗教のような過去には
決して依拠しない



水を一杯に含んだスポンジは
それ以上水を吸収できないように
知識で一杯に膨れ上がった脳は
新たなものを吸収できない

書物を通して知識を得た人の
言葉というのは
スポンジを絞るときに出る水であり
それは過去や伝統や先人の
見解という既知であって真理ではない

それは冷たい概念であって
現在(いま)を生きることで
発見されたものではない




自分以外のものに頼るとき
君は力を失う

聖書や仏典という
外部の光に頼るとき
君は君自身の光となる力を失う

誰かが見出した真理に頼ると
自分を理解するための
エネルギーを失うのだ




杖に頼ると脚力が衰えるように
君が外部のもの
〜グルや宗教書〜にたよると
君自身で見出す力を失う

精神的に何にも
誰にも頼らず一人で立つには
途方もないエネルギーが
必要なわけだがこのエネルギーは
一人で立つことでのみ生まれる




従う者にこのエネルギーはない

自分の目を見開かなくとも
指導者の目に頼り
教義や思想や伝統に
寄りかかっていればいいから
注意力も何もあったもんじゃない

そんな風に君はなりたいのか?
不具になりたいのか?




私はそんなの嫌だ

光になれる力を持っているのに
どうして他人に頼らねばならないのか

それが君を無力にしていることに
君は本当に気づいているだろうか?




今ここで一切の過去と決別して
自分の足で立ってみよう

そうする者に力は生まれる

そうする者が生きるということ
愛するということを理解する

あらゆる権威を退け
精神的にひとり立つとき
君は生きていると言える

このように生きることが
宗教的に生きるということだ


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従わない、依存しない、自らの光であれ!


☆☆


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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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