質問
この腐った世の中に生きていたら、
誰でも少なからず心が汚れていきますよね?
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それは心が汚れている人の言い訳ではないですか?
自分自身の心が汚れていることを、
腐敗した社会のせいにしていませんか?
世の中の動きと心の動きは一連の動きである
よく観察してください。
外側、つまり世の中で起きていることと、
内側、心の中で起きていることは、
全く関係がないのでしょうか?
それとも寄せては返す波のように、
一続きの流れですか?
外側で何が起きているのかを注視することで、
私たちは自らの内側で起きていることを、
理解することができるのではないでしょうか?
自己観察=心の掃除
外側の腐敗を自らの内に見ることができれば、
心に汚れがこびりつくことはありません。
つまり心の掃除 - 自己観察 - を怠っているから、
あなたの心は汚れているのです。
世の中が腐っていると思うのであれば、
その腐敗をしっかりと観察し腐敗の根源を調べましょう。
社会の腐敗に絶望し独自の結論に至って自己完結するのではなく、
社会と同じようにあなた自身の心は腐敗してはいないのか、
社会のようにあなたは冷酷ではないのか、
利己的ではないのかを調べましょう。
いかなる言い訳も自分に許さずに、
自らの心の闇をそのあるがままに観察するとき、
その鋭利な観察が心の闇を取り除きます。
鋭利な観察は正直さなしには不可能
しかし鋭利な観察は正直さがなければ、不可能です。
あなたの巧妙な思考は心の汚れを
あなた以外の誰か or 何かのせいにすることが得意です。
あなたが自分にものすごく正直でなければ、
思考の言い分をそのまま鵜呑みにして、
社会やシステムのせいにしてそれで終わりです。
自分自身の内面を調べてみようなどとも思いません。
このような自己欺瞞に陥らないように、
あなたが細心の注意を払いながら
自己観察という道を歩むとき、
心の闇は払拭されます。
あなたがこの自己観察の道を歩むなら、
腐った世の中で生きていれば心は汚れてしまう、
といった言葉が口を衝いて出ることはありません。
世界と自分は分離してはおらず、
全ては一連の動きだということを、
洞察したあなたはあらゆることに目覚めています。
心に汚れが根付くのは不注意なときだけであり、
あらゆることを注視するときに、
心が汚れることはありません。
外側と内側に線を引かずに、
全ての出来事に刻々と気づいているとき、
あなたの心は川の流れのようにいつも新鮮です
滞った水は腐りますが、
流れている水が腐ることはありません。
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