質問
結婚している人を好きになっても、
行動にさえ移さなければ問題ありませんよね?
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ここでイエスかノーの簡潔な回答をすると、
人というのは自分の気持ちを答えに合わせようとして、
不必要な矛盾を人生に抱え込むようになります。
学校で習う道徳などもそうなのですが、
身につけた道徳や常識という枠に、
私たちは自分の心や行動を何とか納めようと、
努力するようになります。
概念という鋳型に気持ちや行動をはめ込もうとするのは、
強制であり自分自身に対する暴力であり、
これによって私たちは気持ちと概念の狭間で葛藤して、
苦しむことになるのです。
ですからここではこの危険を理解した上で、
簡単には答えを出さずに、注意深くこの問いを
調べていくことにしましょう。
好きになるということ
性別に限らず、私たちは人に好意を抱きます。
相手の人間性に惹かれる場合は特にそうですが、
相手のことをもっとよく知りたいと思いませんか?
このような気持ちは美しさを知覚した際に生まれる、
好奇心や情熱によるものです。
美しい花に出会ったときには、
近くへ行って花をじっくり見たいという
気持ちが生まれるようにそこには情熱や好奇心があります。
相手が異性であっても結婚していても、
このような気持ちを抱くのはごく自然なことであり、
この気持ちから親しく交流するようになることに、
何の問題もありません。
しかし殆どの人がこのような純粋な気持ちだけでは、
終わらないようです。
美しさを知覚するというだけでは、
その美しさを十分味わい尽くすというだけでは
終わらないようです。
知覚に思考が加わると厄介になる
相手が同性である場合、私たちの相手を想う気持ちが
思考によって邪魔されることはありませんが、
異性の場合はそうは行きません。
相手と深い仲になったときのことを想像したり、
自分や相手が結婚しているという事実を呪ったり、
相手を通して得られる幸福感を想像して歓喜したり....
このような思考で一杯になるとそれらは性欲となり、
相手を独占したいという願望となって強まり、
純粋な気持ちに願望がぶらさがって、
利己的な想いが誕生します。
この時点であなたはたとえ行動に移さなくても、
結婚していたり恋人がいるのならあなたは、
パートナーに対して誠実ではないのではありませんか?
知覚にとどまる
もう一度振り返ってみましょう。
あなたには尊敬できて大好きな同性の友達がいますよね?
その人には独占したいという願望も性的な欲求も、
あなたが同性愛者でないかぎり感じないはずです。
これは何故かというとあなた自身の思考が、
変な想像をしないからです。
思考によってあなたの相手を想う気持ちが、
邪魔されないからです。
だから異性に対しても同じことが、
あなたにはできるハズなのです。
心の動を注視する
外見がタイプの異性に会ったとき、
心の綺麗な人に出会ったときのあなたの心を注視しましょう。
その美しさをあなたの目と心でいや身体全体で、
五感が目覚めているなら、
五感を全て働かせて楽しんでいるなら、
思考の介入がないことに気づくことでしょう。
思考の介入があるのは、
あなたが不注意なときです。
その美しさを注視しているときには、
思考は作動しません。
思考が作動してない状態で、
願望や性欲が生まれることはありません。
美しい人に出会ったときの、
あなたの気持ちにとどまりましょう。
あなたが知覚しているものにとどまるなら、
パートナーに対しても美しい人に対しても、
あなたは誠実でいることができます。
通りで美しい花を見つけたからといって、
それをわざわざ取って来て、
自分の部屋に飾る必要はないのです。
あなたは美しい花をそれが咲いている場所で、
心ゆくまで楽しむことができます。
同じように美しい異性に出会っても、
その美しさを堪能すればよいのです。
彼らといる人生はどんなだろうとか、
彼らとのセックスはどんなに素敵だろうとか、
妄想するから性欲や願望は刺激され、
それを満たさずにはいられないような気持ちになるのです。
誠実さとは静寂さと言葉を言い換えて、
表現することができるのではないでしょうか。
いかなる思考の働きもないとき、
つまりいかなる願望にも引っぱられていないとき、
あなたの内面は静寂であり誠実であるのです。
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