精神的な死:毎日死に毎日生きる

2020/02/11

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問い:死ぬとはどういうことを意味するのでしょうか?



このところずっと私は生き方を学んでいたつもりだったが、
最初からずっと死に方を学んでいたのだ

              〜レオナルド・ダ・ヴィンチ〜



これは最近出会った胸に響いた言葉ですが、
人は真剣に生きるときのみ、
生について学ぶことができるし、
生と死が密接に関わっていることを、
理解するのだと改めて思いました。





情熱が学び・理解をもたらす



生きるとはどういうことかを学ぶことは、
死について学ぶことなのだと悟ることができるのは、
真剣に熱烈に誠実に生きる者だけです。

ですからあなたの問いの答えは、
あなたが自分の人生を真剣に生きることによってのみ、
見出すことができるのであって、
教えてもらえるようなものではありません。

生とはいつも新たなもの、未知なるものであり、
この未知なる生を生きるためには、
あらゆる既知を落とさなければなりません。

過去である記憶、知識、信念、観念、思想を落とすこと、
今日一日に得た知識や経験、賞賛や快感や憎しみや喜びを、
今日で終わらせ明日に持ち越さないことで、
私たちはいつも新たな生に出会えます。





生きることは死ぬこと



死が訪れたときに、精神的に、
死が奪い取るものを全て毎日、
自発的に終わらせることできたら、
私たちは肉体的な死を恐れなくなります。

というのは自発的に終わらせることで、
精神的な死を毎日迎えているからです。

恐れがあるとしたらそれは、
肉体的な死への恐怖であって、
家族や恋人との別れや銀行通帳や名声や賞賛から、
強制的に引き離されることへの恐怖ではありません。

なぜならそのような執着は、
毎日終わらせて生きているからです。





明日に持ち込まないで生きる



今日という日を何の重荷も背負わずに生きること、
昨日の憎しみも悲しみも楽しみでさえも、
今日に持ち越さずに生きることには、
この上ない美しさがあります。

先日葉っぱを落とした木々の美しさを前にして、
思ったことですが、人間が裸木のように、
過去という葉っぱを全て落として、
生きることができたならその人の生は、
美しさで輝くのではないでしょうか?

現在〈いま〉を生きるということは、
あらゆる執着、苦しみ、願望、信念、結論から、
自由であることでありそれは、
生きながらあらゆることに対して、
毎日死ぬことなのです。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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