不倫は愛ではない:愛・誠実さ・貞節とは

2020/02/04

愛 真理 自由 秩序 気づき 観察 動機 欲望 願望 利己的な私

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芸能人の不倫報道が大きく取り上げられていますが
いつもそうであるように私たちは自分の意見の正当性を
主張する絶好のチャンスとばかりに騒ぎ立てますが
そんなことではなくここでは愛・誠実さ・貞節さ
とは何かを探究しましょう

不倫した人を攻撃するか擁護するか
はたまた他人が口出す問題ではないと
一見すると中立の立場から物を言っている
分別ある人だと勘違いしそうな意見を
散見しますがこのすべてに他者を
自分から切り離して考える残酷さ
冷酷さが透けて見えます

私たちがやるべきことは批判でも擁護でも
他者との間に線引きすることでもなく
起きていることに十分な注意を払い
何が進行しているかを理解することです

他者の内部で激しい音を立てている波が
自分の中に起きてないか調べることが大切です

※『批判・ニュースで忙しい私たち

貞節とは強制されるものではない


結婚式でした誓いを守ることは貞節ですか?

よく考えてください

貞節の誓いは貞節では全くありません

なぜなら貞節に努力や抑制は不要だからです

他の女性に性欲を感じそれを理性で抑えるというのは
行動を起こさないというだけで貞節ではありません

貞節は意志の力でどうこうするものではなく
愛があればそこにあるものです


ですが殆どの人は愛を知らないが故に
貞節さにある美しさ・深さを知りません

殆どの人に愛がないから性欲を抑える、貞節を守る
といったことが必要になるのです

それは僧侶の禁欲の誓いと同じで
禁じられた行為をしないというだけで
頭の中ではそれを行っています

こころは欲望で沸騰している人が
貞節なわけがありません

道徳を守って他者に優しくすることが
本当の優しさではないように
約束をなんとかして守ろうと
欲望をコントロールすることは
貞節とは全く違う単なるエゴの運動です

なぜ不倫するの?


どうして不倫ということが起こるのでしょう?

愛し愛され一緒になる…結婚する…
これはとてもシンプルで真っ直ぐなことです

このような2人は深いところで繋がっています

この深い繋がりこそ『貞節』です

つまり愛するということが貞節さなのです

多くの人が不倫をするのは彼らに愛がないからです

貞節さには束縛ではなく自由がある


深く繋がるふたりが相手を束縛することはありません

だから貞節は束縛とは無関係です

一方、信頼関係のない人は相手を束縛します

彼らの心のなかは嫉妬や不安、心配でいっぱいで
ちっとも自由ではありません

つまり深いところで繫がっている恋人や夫婦は
相手を束縛しないので彼らの心は抑えられておらず
鳥のように自由に羽ばたくことができます

このように愛のあるところには必ず自由がありますが
束縛しあう関係に愛や自由というものはないのです

愛と自由はセットになっています

なぜならあらゆることを包み込む愛は
限度を知らずどこまでも自由だからです

思考がアクティブなとき愛はない


殆どの人にとっては苦い事実かもしれませんが
性欲を我慢せねばならない人に愛はありません

というのは快楽を追い求めるときの私たちは
気持ちよかった過去の記憶を追いかけており
過去を思い出しているときの思考は
アクティブなので思考が沈黙する
ときのみあらわれる愛は私たちのなかに
流れていないからです

つまり愛があるとき性欲が私たちの
行動を支配・決定することはありません

※『思考が静まると愛が流れ出す

愛と利己性は交わらない


快楽を追い求めるときというのは
あなたの想いは愛ではなく自己欲求を
ただ満たしたいという自己中心的な行いであり
このような利己性と愛は交わることは
決してありません

結婚していながら他の人と性行為をするというのは
自己中心的な行為なのです

自分の満足を追求している人の心に
愛が流れることはあり得ないのです

上の文章の愛の部分を貞節に置き換えて
言うこともできます

愛ではない行為を否定していくとこのように
貞節がどういうものか明らかになります

※『恋愛を通して利己性に気づく
 『愛について私たちが知っていることの全て

愛は苦しみをもたらすことはない


結婚してるからと言ってなにも
相手を所有しているわけではありません

愛は所有でもセックスでもありません

何が言いたいかというと、愛しつつセックスしないことは
可能だということです

愛は葛藤や対立とは無縁です

だから誰かを愛して苦しいのだとしたら
あなたのそれは愛ではないのです

既婚者を好きになって自分のものにならないことが
悔しくて仕方ないのだとしたらそれは愛ではありません

なぜなら愛が苦しみや痛みをもたらすことはないからです

愛は特別な人だけに向かうものではない


愛とは純粋な気持ちです

だから恋人を愛しつつ他の女性を愛したって
何もおかしいことではありません

なぜなら愛は空気のようにありとあらゆる所に
浸透するものだからです

愛は特別な人だけに向かうものではありません

愛は1つのところに放射する光じゃなくて
全体に広がる光です

ですから奥様を愛しながら同僚の女性に
魅力を感じて愛情を抱くことは何も問題ありません

それが問題になるのはセックスを持ち込む場合です

純粋な気持ちは愛、快楽の追求はただの自己満足


同僚の女性への純粋な気持ちにセックスを
持ち込んでしまうと純粋さは失われて
快楽の追求という単なる利己的行為に
変わるのであなたはその女性を愛して
いるわけでも奥様を愛しているわけでもありません

つまり不倫という行為に愛・貞節さはありません

愛とセックスを混同しない場合においてのみ
ある女性を愛しながら愛する奥様との
楽しい結婚生活を送ることができます

『愛とセックスはセット』…

あなたがこう思っているのだとしたら
愛だと思っているものは快楽・満足の追求
に過ぎないことを理解しましょう

快楽・満足の追求は愛ではない


慰めてくれる相手、性欲を満たしてくれる相手、
幸せにしてくれる相手を求めることは愛ではありません

それは自分の欲求を満たすためだけの行為です

愛は利己性とは全く関係がありません

だからセックスしなくてもパートナー以外の人を
愛することはできますしパートナーに貞節で
いることはできます

セックスと愛をセットにしているから
殆どの人は貞節ではないのです

※『既婚者を好きになることは不誠実ですか?

ニュースに対する自分の反応に注意を払う


あなたは下記の意見をどう思いますか?

「身を律してとにかく妻以外の人とセックスしてはダメ!
 という基準を私たちは置きたいのですか?」

これはある番組で女性国際政治学者が不倫について
述べたコメントですが彼女は自由と放縦を
はき違えています

これは現代人に多く見られることですが
この方は愛について真剣に精査したことが
あるのだろうかと疑問を抱かずにはいられません

私たちは自分とは無関係の出来事としてニュースを見て
問題を深く調べもしないで意見を交換しますが
ニュースに対する自分の反応がどういうものなのか、
つまり自分の感情や思考がどのように動くのか、
不倫した俳優への嫉妬から批判してるのか、
不満のはけ口に利用したいだけなのか
自分の心に不純さはないのか、愛はあるか…
こういったことを自分自身の心を注意深く
観察して理解しなければ噂話をするだけでは
何も学ぶことができません

※『自己観察を通して脳の条件付けに気づく
 『反応を観察すると思考のパターンから自由になる

外の世界は私たち自身の表出


私たちの内側と外側に境界線はありません

それは潮の満ち干のように外と内へ向けて
常に流れています

だから外側で起きていることに十分な注意を払い
何が進行しているかを正確に捉えることで
自分の内側を理解することができます

私たちがその両方に関心をもちその両方に繊細なら
他者への批判だけに終わることはありません

他者に向けた鋭い観察を自分の心にも向けるとき
私たちは自分自身について深く学ぶことができます

こうして自らの心を理解し切ったとき
私たちは愛そのものになるのです

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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