生理的・物理的な安定への希求
私たちはいつも安定を求めていませんか?
勿論、生きるために安定は必要不可欠です。
私たちは衣食住を確保せねばなりません。
これは生きるために必要なことですが
人はこれを心理的な領域に拡張して
安定を求めるようになりました
精神的・心理的な安定への希求
精神的な安定が欲しい、気分を害されたくない、
悩みから解放されたい、幸せでいたい
という願望から私たちは色々な物に
手を出します
恋人や結婚、家族に安定を求め
観念や信念、主義主張に安定を求めます
知識や経験にも安定を求め
あらゆるものを蓄積します
そして最終的には神に、至福に、悟りに
安定を求めます
グルや僧侶や聖職者に、真理や神秘体験に
既存宗教や思想や儀式、真我に
究極の安定を求めるのです
結論に至った精神は鋭敏ではない
しかしこれらのものが本当に、
安定をもたらしたのでしょうか?
安定を手に入れたぞ!と主張する精神が、
全方向に気づくことなどできますか?
というのは十分に気づいていることが
できない精神は危険が迫っても
察知できないので危険なです。
・真理に到達した
・完璧な観念やグルを手に入れた
・教えに従っていれば間違わない
・この方法が必ず真理へと導く
・生きるとは苦しみだ
・人は苦しみから逃れられない
・人は欲望から自由になれない
このようなことを信じて疑わない精神が
絶え間なく変化し動き続ける生に
ついていくだけのすばしこさを
持ち合わせていますか?
安定を求めて手にしたものが
あなたを危険に晒しているのでは
ないですか?
あなたが安定を求めて手に入れたものを、
一つ一つ調べて問うてください
本当に安定をもたらしたかどうか...
安定を求めるから不安定になる
精神的に自由ではないかぎり
人は不自由であり不安定です
自分の足で歩けるのに
杖の方が安全だからと
杖に頼れば途端に脚力は衰えます
安定(杖)を希求したばかりに
人は脚力を失うのです
安定を希求した結果、却って不安定になるのです
同様に自分で見出す力があるのに
他人の教えや思想、観念に従い続けると
彼の精神は機能しなくなります
そして鈍い精神は生の美しさにも危険にも
気づけないので安定を希求しながらも
却って安全でなくなります
生(現在)は既知(過去)で対処できない
未知なる生に既知で対処することはできません
つまり、観念や思想や他者が見出した真理で
生に対処することはできないのです
先人が見出した真実がどんなに深遠でも
それは現在における真実ではありません
川についての描写がたとえリアルでも
それは実際の川ではないように
真理についての描写は真理ではないのです
つまり、現在における真実は今見られるべきもので
過去の真理を適用することはできません
安定は不安定の中にある
新たなものに出会うことができるのは、
過去という埃を落とした純粋な精神だけです
現在における真実を見出すためには
刻々と変わりゆく生を、
既知に染められていない
まっさらな目で
見なければなりません
聖者の目を通してではなく
くすんだ真理を通してでもなく
過去から自由な目で見なければ
ならないのです
安定は既知ではなく未知の中にあります
安定は不安定の中にあるのです
既知を手放せば、安定は手に入るのです
安定願望から生まれる行為はどれも
安定をもたらさないことを
洞察する精神は一切の既知を捨て
心と体の全てで刻々と変わりゆく
生に出会います。
このように何一つ携えていない
過去に染まらない精神だけが
物事の本質を掴んで
即座に行動することができます
物事の本質を見る者こそ、安全なのです
全的に気づいている精神は
虚偽を虚偽として見るので
危険を退けることができます
しかし誰か or 何か特定の法則に従う精神は
過去というフィルター越しにしか、
物事を見れないので本質を掴めません
危険を危険として
感知することのできない精神は
安全ではないのです
つまり安全を求めたが為に
既知に囚われてしまった精神は
自らを危険に晒すことになるのです
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