社会を変えたいなら自分が変わろう:社会問題を通して利己性を見つめる

2020/02/27

気づき 観察 生きる 利己的な私

t f B! P L



質問

ファーストフード店でハンバーガーを買いました
隣のレジで女性もハンバーガーを注文していました

彼女は注文したハンバーガーを受け取ると
飲食スペースへ向かおうとしました
その途中、近くにいた老齢の小汚い痩せ型の
腰の曲がったホームレスらしき男性が
目に止まったようでした

彼女はほんの少しの間立ち止まったあと
その男性の前へ行ってハンバーガーの乗った
トレイを差し出しました
彼は手を横に大きく振って断りました
すると彼女は再び飲食スペースへ向かいました

この一連の光景が何だかとても心に響きました
同時に恥を感じました。なぜなら間違っても自分なら
彼女のようなことはしないと思ったからです

なぜこのような光景を見なければならないのでしょうか

もし自分なら彼女からハンバーガーを受け取っただろうか
いいえ、きっと彼と同じように受け取りません
欲しくても、手を横に大きく振って断るでしょう

なぜなら、そのような行為は眩しすぎるから…
ハンバーガーを受け取ってしまったら、
自分は今の今までずっと社会から洗脳され騙され
瑣末に扱われ続けてきたことを認めることになってしまいます

こういう光景をどう思いますか?

残酷な人間が残酷な社会を作る


1999年12月、2000年になる直前だったので
ハッキリ覚えていますが、私は初めて
日本を出て外の世界を見ました

それはインドでした

インドでは北へ行こうと南へ行こうと
そこには必ず人間の尊厳を奪われた
貧しい人たちの物乞いをする姿がありました

彼らは腰布だけを身につけ裸足のまま
不潔な地面に座っています

骨と皮だけのやせ細った肉体は
インドの強い陽射しに容赦なく焼かれて
肌は黒々と光りそれが彼らの肋骨の位置を
際立たせていました

道行く人に自分の存在を気づいてもらおうと
力の入らない弱々しい手を彼らの方に
必死に伸ばしている光景が私の胸を
強く締め付けたことを質問を読んで思い出しました

それまで頭の中だけでフワっとしていた
人間の残酷さというものが私のなかで
リアルになった瞬間でした

利己的な人間が利己的な社会を作る


私たちは自分のことだけを考えて生きているうちに
非常に利己的になってしまいいつの間にかそれが普通になっています

だから利己的だと指摘すると殆どの人が
『利己的で何が悪い!』と気分を害して敏感に反応します

優しい正直者がバカ者とさげすまれるほどに
世の中の99.9%の人は利己的です

私たちは他者に対して無関心だし思いやりはなく
困っている人を見かけても何も感じないほど
鈍感になっているのか、あるいは何かを感じて
考えたとしてもいつもの忙しい生活に戻ると
そのことをすっかり忘れてしまいます


助けを必要としている人も御多分に漏れず利己的です

彼らも利己的に生きてきたために
手を差し伸べてくれる人の優しさを
素直に受け取ることができません

人の自然な行為にもなにか意図が
あるのではないかとかんぐったり『偽善』
という言葉で片付けて相手を批判したりします

そして己のエゴから、差し伸べられた手を振り払うのです

エゴが人と人を分けている


この全てはひとえに私やあなたが他者との間に
くっきり線を引いているからではないですか?

私やあなたやホームレスの人が持っているプライドが
自分とその他大勢の人を区別します

このプライドはどこから生まれたのかというと
それはエゴ・自我です

つまりエゴが人と人とを分けるのです

エゴが私たちを自分の快楽だけを追いかけるように仕向けて
他者の苦しみにはまるで無関心で冷酷な人間にするのです

※『守るべきプライドはない
 『良いプライドなんてない:プライドに実体はない

優しさ・思いやりは人間の美しい性質


私がもし彼の立場だったなら、そして
お腹が空いてどうしようもないのだとしたら
相手の好意をありがたく受け取るだろうし
あなたが目にした彼女の行為はおそらく
純粋なもので優しさから生まれた咄嗟の行為
だったんじゃないかなと思います

人間の美しい性質である優しさや思いやりというものを
疑ってしまう程に人は利己的なのです

美しい性質を自分が持ち合わせてないから
他の人も自分と同じだろうと思うわけです

私たち人間は絶望的なまでに利己的だということ、
そしてその私たちが築いた社会は冷たい社会です

冷酷な私たち、冷酷な社会、これが事実です

ズルい心、冷たい心、無関心な心から逃げない


利己的な私たちにできることはただ1つ

それは内なるズルさ・冷酷さ・利己性から目を逸らさずに
それを凝視して心から追い出すことです

内部の利己性を取り除くことに成功すれば
私たちは社会から残酷さを追放できるのです

※『利己性を一掃すれば世界は変わる
 『世界の問題の根源は人間の利己性にある

社会問題の原因は私たち1人1人の利己性である


しかし悲しい哉、人は事実を見つめません

己の醜さから、社会の残酷さから目を背けます

これが私たちが変わらない理由、
世界の様々な問題が解決できていない理由です

事実を見ようとしないのは何故?


なぜ事実を見つめないのでしょう?

事実を見ようとしないのは何故ですか?

それは人間が利己的だからです

わかるでしょうか?

私たちはまた最初に逆戻りです

いいですか?

あらゆる問題の根っこは利己性です

どこから問題にとりかかろうと
利己性を片付けなければ何1つ解決しません

利己性という真の問題に真剣に取り組まなければ
人間が優しさや思いやりから行動する日はやって来ないのです

こんなの、悲しすぎませんか?

人間の美しい性質を失ったまま人間として生きなければ
ならないなんて悲劇ではないですか?

繰り返しますが、利己性を片付けないかぎり
私たちは現在のように損得勘定で行動することしかできません

そして私たち自身が優しくないわけですから
社会も当然優しないわけです

私たちの内側が美しくないのは…
社会が今のように残酷なのは私たちが自己本位だからです

不快な気分になりたくないという自己勝手な想い…
人の痛みを感じないよう他者を無視してしまおう
という暴虐、綺麗なものだけ見ていたいという
願望という名の利己性、現実から観念に逃げる自我
知ってしまうとどう生きたらいいかわからなく
なっていまうという不安や恐怖の正体であるエゴが
事実を直視することを拒否しています

この頑固な利己性に気づいて取り組まなければ
人も社会も決して変わることはないのです

私たちが醜くて冷たくてズルいなら
社会も醜くて冷たくてズルいのです

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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