競うばかりの人生
・学校では学習能力や身体能力を競う
一番の人気者は誰?
誰が格好良い/可愛い?
スタイルの良い女子は誰かとか..
親の職業は何かで競い、
お金持ちの子かそうでないかで競う
・競争は社会に出ても止まりません
出身大学で競い、読書量やIQ
年収といった数字で競い
地位や名声のため同僚や上司と競う
・プライベートも同じ
誰の恋人が一番可愛い/格好良いか、
恋人のスペックで競う
身につけているものや車..
持家か借家か or 生活水準で競う
子供の頭脳を他の子と比べては競い
幸福度や生活レベルで競い
イイね!の数やフォロワー数で競う
精神性を競う
これらの競争に空しさを感じて
競うことを止める人もいます
しかし彼らは本当に競うことを
止めたのだろうか?
いや、そうではない
物質主義・資本主義競争に辟易し
己の精神に目を向けたはいいが
今度は人間性をせっせと磨いては
他者と心を競っている
こうしてお馴染みの競争を再開する
幸せになるために
仕事を頑張っていたあの頃のように
手段が変わっただけで相変わらず
幸せになるために必死に精神を
鍛えている
今も昔も願望に駆立てられて
行動しているのだ
競うということを未だに続けている
内面を競う人々
人間性を磨く努力を人一倍しているから
自分の精神は優れていると
思い込んでいる人が沢山います
しかし彼らは知りません
筋肉を鍛えるように精神は磨けないことを!
精神を磨くという行為は
自我を太らせるだけだと
いうことがわかっていません
高みを目指せば目指すほど
そこから遠ざかっていることに
気づいていないのです
※『人間性は磨けるの?』
競うことは暴力である
名声やお金、努力や持ち物で他者と
競うことの虚しさに気づいたって
今度は心を天秤にかけようと
言うのですから救いようのない程
暴力的なのです
競うことは暴力だと理解しなければ
競う行為は止まりません
※『ライバルと暴力性』を併せて
何を競うかが問題ではありません
競うこと自体が問題なのです
長年瞑想をしているから...
精神を鍛錬しているから..
自分の精神レベルは高いという話を
瞑想実践者や自称スピリチュアリストから
よく聞きますが彼らは能力や財産で
競っている人と何も変わりません
あぁ...競うというこの行為
なりゆくという行為の全てが
自我の働きであることに
なぜ気づかないのだろう?
※『なりゆくという行為』
『競争を手放して劣等感・嫉妬から自由になる』
利己的な生き方は虚しい
自分自身は利己的で無秩序でありながら
他人の自分勝手な行動を批判したって
どうしようもないではありませんか?
しかし人は自らの行為を
決して疑おうとはしません
そして成功者になるため..
良い暮らしを手に入れるため..
夢や目標を叶えるため..
愛ある人になるため..
幸せを手に入れるために
今日も走り続けています
行為者が誰であるかを追究することなく
自分の願望を満たすためだけに生きる
虚しい日々を繰り返しています
だから私たちは2000年前と同じように
今も苦しみを抱えて生きています
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