敬語は敬意・尊重・大切に想う気持ちから生まれる

2020/02/29

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質問

敬語は何のためにあるのですか?
敬いたい人、敬われるべき人などほとんどいないのに、
社会では敬語を使うことが常識となっています。

本音と建前をもてということでしょうか?
仮面を付けろということでしょうか?
本当と嘘とに精神を分裂させろということでしょうか?
目上の人や社会で偉いとされている人たちが、
気持ちよく人生を生きるためでしょうか?

このように社会で当たり前になっていることに突っ込みを入れると、
面倒くさい奴だなとか、生意気な奴だなと言われることがあります。

このようなことが言語レベルで、義務教育レベルで、
用意されているという事をどう思いますか?


       =====


人に面倒くさい奴だなと思われてしまう、
というところにすごく共感を覚えました。 

こういうと私が面倒くさいと思われていると、
告白しているみたいですが.....笑





敬語が先か、気持ちが先か?



相手に対する敬意や尊重がまずはあって、
それが言葉にあらわれるのが自然だと思います。

植物や動物やものを大切にする気持ちがあるように、
人間に対して大切に想う気持ちが、
私たちにはあるのではないでしょうか?



この気持ちは敬いたい人、敬われるべき人に限定されてはおらず、
相手の人間性がどうかにも関係なく、
私たちは人に対する敬意や想いを持っています。

このような気持ち・尊重・敬意があれば、
かしこまった敬語とまではいかなくとも、
私たちの表情や態度、声のトーンや言葉の端々に
優しさはあらわれるのではないでしょうか?

そのような気持ちも持っていないのに、
形式的に敬語を使う人が多いから、
あなたは彼らの無意識な行為にメスを入れているのですよね?

わかります。





私たちは力のある人間に弱い



敬語とは違いますが、VIPと呼ばれる人が来日したときの、
彼らにペコペコする日本人のあの姿といったら、
それはそれは醜いものです。

質問文にもありますが、目上の人や社会で偉いとされている人達の、
機嫌をとりおだて上げることは、
権力に迎合する腐敗した人間のすることであり、
決して美しいものではありません。





分離は必ず葛藤を生む



強制的あるいは習慣的に気持ちと裏腹な敬語を使い続けると、
私たちの内面は分裂して葛藤に苦しむことになり、
まったく誠実ではいられなくなります。

こっちでは仮面あっちでは素、と自分を使い分けていたら、
実直に生きることはできません。

内面にこのような分離を生まないためにも、
自分の気持ち絶えず注意を払い、
心にもないことを言わないように気をつけましょう。





鈍感さに気づくと精神は敏感になる



心がこもってない言葉でどれだけコミュニケーションをとっても、
人と深く関わることはできません。

大切に想う気持ちから生まれたのではない敬語は、
非常に表面的で血の通っていない冷たいものであり、
それでは表面的な関係しか築けません。

精神分裂症や仮面生活に陥らないためにも、
私たちは人に対する敬意の気持ちを
どこかに置き忘れてしまったことに
気づかなければなりません。

そうして自分の精神が鈍感だということに気づくと、
精神はもはや鈍感ではありません。

精神がちゃんと目を覚ましていれば、
相手への敬意は自然と芽生えてきますので、
気持ちと言葉に分離はなく、矛盾も生まれないので、
相手と誠実に関わり合うことができるのです。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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