問い
こうあるべきだという思いが自分の中にあるのですが
理想通りに行動できる時もあれば、難しい時もあります
こんな自分でも諦めなければいつか理想に近づけますか?
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こうあるべきだという思いがあってその通りに行動していると
もちろんあなたの理想に近づいていきますが
それが何を意味するのかは後ほどお話するとして
まずは理想がどのように生まれるのか見て行きましょう
理想はどこからやって来る?
あなたの理想はあなたの思考がこしらえたもの
ではないですか?
道徳や倫理を学校で学んできたあなた…
宗教や哲学に関する書物を
端から読みあさってきたあなたが
ピン!ときたものを寄せ集めたものが
あなたの理想であり、こうあるべき
あるいはありたい!というあなたの思いです
つまりあなたの理想はあなたの思考が作りました
頭の中にインプットされている沢山の情報を基に
あなたは理想を作り上げたのです
理想は過去、そして死物
知識と経験が脳に記憶として貯えられたものが
私たちの思考の中身です
つまり…
思考は過去に根付いており常に古い存在なのです
これらを材料にして理想は出来上がるのでも
あなたの理想は例外なく過去に根付いています
だからどんなに崇高な理想であっても
理想は過去であり単なる概念であり
それはどのようなものも死物なのです
思考から産み落とされるものは
それが思想でろうと観念であろうと理想であろうと
血の通っていない冷たい生命のないものです
理想に従って行動するということ
理想通りに行動するということは
生命のないものを模範にして行動するということです
それはどういうことかというと初めて出会う出来事を
過去という古いものさしで評価し判断して
行動しているということです
あなたは現在という常に新たな生に
過去で対処しているのです
過去が今とる行動を決めているのです
それは実際に目の前にいる相手を見ないで
どう振る舞うべきかを書物に訊ねるようなものです
目の前にいる相手をよく見るからこそ
適切な行動をとることができるのに
あなたは相手をよく見もせずに
自分の決めたルールに従って行動しているのです
このようにしていては人と必ずぶつかるし
自分自身と葛藤してしまいます
というのは過去のデータと照らし合わせてみても
データと今起こっていることとがまるまる
同じということはないからです
データ(過去の情報)と現在にはズレがあるので
このズレが他者との間に対立を、心の中に葛藤を生みます
既知(過去)で未知(現在)に対処すると
既知と未知との間のズレが衝突・葛藤・矛盾を引き起こします
※『刻々と変化する生とパターン化した心』
型に抑え込むことは暴力
心は自由に形を変えるものなのに
あなたは理想という鋳型にはめようとしています
これはある意味あなたの心に対する
いえ、あなた自身に対する暴力です
自由という性質をもつ心を強制的に
特定の型にはめようとする行為は
暴力以外の何ものでもありません
理想をもつとどうなる?
四角い栓を丸い穴に詰め込むとどうなりますか?
尖った部分は徐々に削れていきます
心にも同じことが起こります
自由を何よりも愛する心が特定の型に
抑え込まれると痛みを感じます
痛みは葛藤・混乱・苛立ちとなってあらわれます
しかし最初から理想などもたなければ
これらの感情に苦しむことはないのです
なぜならまとまりのある心から葛藤が生まれることは
ないからです
あなたが理想を持つ以前は
心を抑え込もうとするもの
引き裂こうとするものはありませんでした
ひとまとまりの心しかなかったのです
しかしあなたは不幸にも理想を持ち込みました
理想の形に心を捏ね始めたのです
心は自由を奪われたわけですから
あなたが痛みを感じるのは当然です
もう1度言います
葛藤は分裂した心に生まれます
2つ以上に心が分離しているから
断片同士がぶつかって葛藤するのです
あるがままの心と理想がぶつかるから
人は葛藤し苦しむのです
理想は葛藤をもたらす
理想を持ち込んだことで
あなたは苦しむようになりました
理想通りの行動がとれない自分に苛立ち
動揺し、落ち込み、実際の自分と理想の間で格闘します
いいですか?
あなたの持ち込んだ理想が心を分けたのです
理想によって心はバラバラになり
断片と断片がぶつかっているのです
このように分離のあるところ
必ず衝突・葛藤が起こります
そして衝突・葛藤のあるところに
苦しみや悲しみが生まれるのです
つまり…
理想がひとまとまりだった心を分離し
葛藤、苛立ち、苦しみという感情をもたらすのです
理想があなたの苛立ちや自己嫌悪の犯人です
理想に近づくとはどういうことなのか?
それでも理想の自分になるべく
自らにムチを打ち続けるとどうなるでしょう?
おそらくあなたの思い描く理想に近づくでしょう
しかしあなたが期待するようなミラクルは起きません
あなたはあなたが尊敬して止まない
聖者や賢者になるわけではありません
ではどうなるのでしょう?
お金を崇める者の心はお金の性質を帯びて
冷たくなるように理想を追い求める者の心は
その性質を帯びてゆきます
具体的にどうなるか
それは…
あなたは血の通わない冷たい概念そのものに
なってゆきます
理想(概念)は死物なので
心は生気を失い冷たくなります
理想があなたを冷たい人間にするのです
理想が観察を阻む
そもそもあなたが理想を持つようになったのは
正しくありたかったからでしょう?
そうであればあなたは今この瞬間、
正しくあればいいのです
理想を持つ必要なんてどこにもなくて
正しくあればよいのです
ただ…
刻々と正しくあるためには
現在〈いま〉起きていることを、
精確に観察しなければなりません
理想を追いかけていては
物事を正しく観察することはできません
理想というフィルターを通さず
あるがままを見つめなければ
正しくあることはできないのです
というのは正しい観察だけが
正しい行為を可能にするからです
理想が正しい行為をもたらすのではありません
なぜなら理想という枠から物事を見ても
それは部分的な観察なのでそこから生まれる
行為も部分的であり部分的ということは
全体的つまり正しい行為ではないからです
あなたが歪みなく観察して現在に適切に
応答することを理想は妨げてしまうのです
※『部分的な観察 vs. 全体的な観察』
『不快な感情から自由になるには概念を持たないことが大切である』
洞察が理想を終わらせる
ここまで読み進めてこられた方は
理想をもつことの危険について理解できたと思います
では危険を見たらどうなるのでしょうか?
理想を持つかぎり正しい観察・正しい行為は
不可能だということを洞察するとき
その洞察が思考を静かにします
理想の生みの親である思考が沈黙すると
子である理想は消えてなくなります
このように思考の動きが止まるときのみ
私たちは物事を歪みなく見ることができ
正しい行為をとれるのです
このとき私たちは理想ではなく事実と対峙します
こうしてあるがままの事実と対峙すると
正しい行為、秩序ある行為、愛のある行為が
〜どう呼んでも構いませんが〜 可能になります
思考から自由な行為、つまり
思考によって指示されない行為は
時代や環境によって決して変わることのない
正しさを内包するのです
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