愛がないという事実を見るとき、愛に出会う

2020/04/02

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質問

私が一番欲しかったのは愛。でも一番手に入らない。
愛はどこにあるのですか?

もしかして気づいていないだけで、
既に手に入れているのですか?

どう思いますか?





愛がないという事実を見る



満たされているときには求めないように、
お腹が一杯のときには食べ物を必要としないように、
愛のある人は愛を求めることはありません。

ですからご自分に愛がないという事実を見て、
それを何らかの観念で覆わないことが大切です。

事実を見れたなら、既に愛を手に入れたようなものです。





事実を見ようとしない私たち



悲しい哉、私たちは愛がないことを認めません。

愛を求めていること、不足感を感じることは認めても、
愛がないなどという恐ろしい考えは、
浮かんだ先から全力で潰しにかかります。

自分には愛がないかも、なんていう考えが浮かんだら、
直ぐさま別の思考で否定します。

こうして私たちはいつも、都合のいい思考の主張を信じて、
愛がないかもしれないという疑念が事実なのかどうなのか、
調べることはありません。





事実に直面しないから愛がない



事実を見ない私たちの内部に、
愛が花開くことはありません。

事実を見つめなければいつまでも、
私たちは愛を知らなぬまま生きていくことになります。

内面の醜さに直面することを避けるためなら、
私たちはどんなに愚かなことでも行いますが、
内に流れている感情に注意を払わなければ、
自分自身を理解することはできませんし、
自分の心の流れに気づかなければ、
進行している内面の醜さは存在し続けます。





愛のない心を観察する



ありのままの自分を見つめることなく、
外側に愛を求めても、愛のない自分が変わることはありません。

殆どの人は自分の醜い感情に気づくや否や、
感情に働きかけようとしますが、
感情は観察されるべきものであって、
誤摩化したり、何かに逃避したり、
制御されるべきものではありません。



しかし正直な人は、己の醜い感情から逃げません。

それがどんなに恐ろしい感情であっても、
心に生じた感情から逃げません。

自分自身の内部にある感情に、
全責任があることを自覚しているので、
内面を隅から隅まで注意深く観察します。

このように徹底して観察する人は、
愛が浸透するのを阻んでいる、
様々な感情を片付けることができます。

刻々と自己を観察することによって、
愛ではないものを焼き尽くして生きるなら、
そのような誠実な人を、
愛が放っておくわけがありません。

ですから既に愛を手に入れている、
などという都合のいい概念を信じて、
安心しようとしないで、ありのままの事実を見つめましょう。

ありのままの事実とは、あなたに愛がないということです。

落ち込んだり自己批判したり、
正当化することにエネルギーを使わないで、
愛のない心を観察することに、エネルギーを使いましょう。





観察が観察されるものを解体する



生まれた感情についての観察が、
感情の本質、及び構造全体を明らかにします。

内面は一時もじっとしてはいないので、
刻々と変わりゆく心を理解するには、刻々の観察が必要です。

進行していることについての情熱的な観察があれば、
観察されるものは解体します。

このようにして醜さや不純さが解体するとき、
あなたが一番欲しかった愛が手に入れようと努力しなくても、
自ずと姿を現します。

事実があなたの中身をすっかり変えるのであって、
満足を与えてくれる概念やあなたの思考ではないのです。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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