質問

どう考えてもこの世で普通に生きていくには、
汚い心も必要ですよね?

良い人であろうとするメリットは、
あまりない気がします。




あなたが仰る〈普通に生きていく〉とは、
他の人たちのように生きていく、
ということですか?

自分の幸せ、自分の成功、自分の快楽、
自分の悩み、自分の将来、自分の身内
のことだけを考えて生きていくには、
ということですか?

そうなら、不純さはたしかに必要でしょう。

なぜなら純粋さが利己性といることは、
一秒だってできないからです。

心を観察する


心の汚れを社会のせいにしたいようですが、
あなた自身の心をよく観察しましたか?

不誠実な人が不誠実であるがゆえに得る、
メリットを享受したがっている、
自分の心の醜さ、貪欲さ、不純さに、
気づいていますか?

まわりが腐敗しているから、
腐敗してもいいと思っている、
あなたの心を観察していますか?

心の汚れはあなたの責任


心が汚れたのは、あなたの責任です。

誰のせいでも、社会のせいでもありません。

社会は私たちの心の表出です。

私たち一人一人の心の汚れが、
今ある社会にしたのです。

良い人はメリットで動かない


「良い人であろうとするメリットは、
 あまりない気がする」と仰りますが、
損得で判断する人、自己中心的な人は、
その枠内でしか考えられないでしょう。

一方、良い人というのはメリットを考えて、
良い人でいるのではありません。

悪くなるという選択肢がないので、
良くあること以外何もできないのです。

あなたがあなた以外の人にはなれないように、
良い人は良い人以外なれません。

良い人は、損得で考える利己性
楽に生きるために妥協する狡猾さが
心を汚してしまうことを理解しているので
心を汚すものから離れています

行為が利己性に染まらないから、
彼らは良い人なのです。

彼らの行為は損得や快不快に、
染まりません。

正しさ・善良さは彼らそのものであり、
正しさが歩いているのです。

利己性を退けて生きているから、
優しく正しく良くあることができるのです。

心の汚れの正体は利己性


利己性が根付いているから、
心は汚れているのではありませんか?

メリットを考える利己性が、
心を醜くするのではありませんか?

報酬と罰の間、快と不快の間を、
行ったり来たりしていることが、
心の汚れの原因ではないですか?

心をよく観察して、
その真偽をご自分で確かめてください。

社会を批判できない


利己的かどうかなんてどうでもいい、
楽に暮らせればそれでいいというなら、
心の汚れなんか気にせず、
好きにすればいいのです。

それはみんながやっていることで、
なんにも珍しいことではありません。

好きなことをするというのは、
現代の流行であり、
社会がメディアが私たちに、
囁き続けてきたことです。

ただ、好きなことをすると決めたのなら、
社会の冷酷さや不道徳さ、不条理に対して、
あなたは何も言えません。

なぜならあなたが腐敗そのものであるのに、
社会の何を批判できるというのでしょう?

自らの利己性をそのままに、
社会を憂いてもどうにもなりません。

内部の利己性に手をつけないまま、
社会を変えようとしても、
社会が変わることはありません。

つまりあなたの心から不純なものを取り除くまで、
社会は変わらないのです。

だから「生きていくためには汚い心も必要」
と思ったあなたの心を隅々まで調べて、
その奥底にある願望や恐怖に、
気づきましょう。

なぜならそれがあなたの心を、
汚しているからです。

なぜならそれが冷酷な社会の、
根源だからです。

誠実に生きることは可能?


誠実に生きることは不可能だと言って、
それ以上の探究をされない方が殆どですが、
誠実に生きてみようともしないで、
不可能だと決めつけるのは、
誠実ではありません。

誠実に生きるなんて考えただけでもゾッとする、
苦しそうで嫌だ、と思うなら、
不快をなんとしても避けたいという、
願望があなたの心の中にあり、
その願望が都合のいい結論に飛びついた、
ということを理解しましょう。

これさえ理解しておけば、
あなたが自己本位な結論を、
真実であるかのように、
他者に語ることはありません...

生きていれば心は汚れるって本当?


生きていれば心は汚れる、
というのは事実ではありません。

そうではなく楽に生きたい、
苦労せずに生きたいという願望が、
私たちに不誠実な行為をとらせるから、
心は汚れるのです。

しかし利己性の危険を理解している人は、
腐敗した社会の中にあっても、
利己性と距離をとっているので、
心は汚れません。

誠実に生きる


誠実に生きることはできるのか、
その答えを本当に知りたければ、
あなた自身が誠実に、
生きてみなければなりません。

不純さが心に入り込まぬよう、
刻々と内面を観察しながら、
注意深く生きなければなりません。

このように真剣に生きる人の熱量が、
正しい答えを導き出します。

どのような問いについてもそうですが、
誠実さ・真剣さ・情熱が、
正しい答えを見出す鍵になります。

長々と書いてしまいましたが、
私たちは自分の行動に全責任があり、
誰が何を言おうと、
どのように生きるかを決めるのは、
いつも私たち自身なのです。

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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