正しい愛=自我のない愛:愛したことがないという事実を見る

2020/04/26

愛 真理 自由 秩序 利己的な私 理解 洞察 事実

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質問

歪んだ愛という表現は容易に理解されるのに、
正しい愛というのを理解するのは難しいのでしょうか?

また自分の愛や自分の恋人の愛が本物かどうか、
人はなぜ問うてみないのでしょうか?





正しさとは



これまで正しい生き方や正しい行為について、
読者の方と共に探究してきましたが『正しさ』とは、
人の見方や評価の仕方で異なるものではなく、
あらゆる自分本位の動機や願望が、
なくなってしまうような行為を指します。

ですので正しい愛についても同じように考えると、
愛に自我があるかないか、ただこれだけで即座にわかるので、
理解するのはそれほど難しくないと思います。





事実を見るには痛みを伴う



ただ、自分が慣れ親しんだ愛が正しい愛ではない、
という事実を見ることが多くの人にとって、難しいのだと思います。

かくいう私もずっと愛だと思っていた想いが、
単なる自分勝手なものに過ぎなかったことを知ったときには....
10年いや20年以上も、そんな風にしか愛してこなかったことに、
気づいたときには自分の利己性に愕然としましたし、
吐き気さえも感じました。

『一度も愛したことがない』という事実を見るには、
相当な勇気と正直さが要ります。

心の中にある美しいものを見るのは簡単ですが、
心をありのままに歪みなく見ることには、
大きな痛みを伴います。

だから人はあまり、真実を直視したがりません。





私たちが相手に求めているもの



私たちは自分の愛が本当に愛なのかどうなのか、
問うてみることはあまりありません。

事実を見つめて不快になるよりも、
自分勝手な想いを愛だと信じて、
相手を想う方が都合がいいからです。

愛とは何かについて考えるよりも...
自分の愛や相手の愛が本当に愛なのかを問うよりも、
自分の願望や欲望を満たしてくれる相手、
所有し所有される関係を望んでいるからです。

つまり私たちにとって大事なのは、
自分たちの想いが愛かどうかではなく、
相手が自分を幸せにしてくれるか、
どうなのかということです。

自分の寂しさや孤独を埋めてくれる相手、
自分を守ってくれて支えてくれる相手を、
私たちは何よりも求めています。

このように私たちは絶望的なまでに利己的です。

これでは市場取引と何ら変わりません。

寂しさからペットを飼う人と同じです。

こういうわけで私たちはいつまでたっても、
愛を知ることはできないのです。

なぜ心を満たそうとしているのかを調べるよりも、
一刻も早く心の穴を恋人で埋めようとするために、
私たちは愛を知ることができません。

ありのままの空虚な心を見つめるまで、
そしてそれを自分で解決するまで、
愛を知ることはないのです。



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