A 無欲への執着も執着、こだわりなきことへのこだわりも執着。
執着を手放すにはどうすればよいかなどと問うかぎり、
執着から自由にはなれないというのは、正論ですか?
私 はい、
A では私たちは生きているかぎり、
欲望を捨て去ることはできないということですね?
私 どうしてそうなるのですか?
無欲に執着するのも自己、
こだわりなきことへこだわるのも自己、
執着を手放す方法を問うているのも自己...
このどれもが自己の運動であることを、
あなたは理解されたのですよね?
これは自分自身の内部に深く潜って、
調べた人でなければわからないことです。
しかしあなたはそうされたのですよね?
それとも知識として取り入れただけですか?
A 書物を頼りに自己を観察した結果、
書物に書かれていたことが本当だとわかりました。
私 ではあなたにとって事実だということです。
あなたの血となり肉となっているということです。
しかしそうであればどうも可笑しいのです。
というのはあなたが理解したのであれば、
そのとき何か起きたはずだからです。
A 仰っている意味がわかりません。
私 仕切り直しましょう。
無欲に執着するのも自己、
こだわりなきことへこだわるのも自己、
執着を手放す方法を問うているのも自己..
このことをあなたは洞察されました。
A はい、欲望を捨て去ることは不可能だと、
理解しました。
私 いえ、そうではありません。
結論に達したのは、その後です。
あなたはまず、無欲に執着するのも自己の働きであり、
こだわりなきことへこだわるのも自己の働き、
執着を手放す方法を問うているのも自己の働きだと
いうことを洞察しました。
A はい、
私 このことを洞察すると、何が起こりますか?
A だから欲望を捨て去ることは無理だと、
わかりました。
私 慎重に進みましょう。
右へ進もうと、左へ進もうと、前へ進もうと、
後ろへ進もうとそれはみんな自己の働きであることを、
理解すると何が起こりますか?
A .....
私 あなたは一歩も踏み出せなくなります。
欲望を捨てようと躍起になるのも自己、
欲望をコントロールしようとするのも自己、
欲望のままに生きようとするのも、
自己の働きだとわかったときの、
あなたはどうなりますか?
欲望をどうすることもできない、
何一つ行えることはないことを洞察すると、
あなたの『自己』は沈黙します。
逃げ場をなくした『自己』は運動を止めます。
このとき、何が起こりますか?
A .....
私 自己の運動すべてが止まると、欲望は消滅します。
自己のないところ、欲望はありません。
何をしようと消えなかった欲望は、
自己の動き全体を洞察することで消えるのです。
A『欲望を捨てることが悟りの境地であるが、
人は決して欲望を捨てることはできない。
つまり生きている限り、人は悟れない。
だったら悟りを求めることは諦めて、
欲望を制御しながら、朗らかに生きよう!
執着を捨てることに執着することを止めて、
悟りの境地を求めることを止めるよう』
これは親鸞が到達した悟りの境地です。
私 だからどうだと言うのですか?
彼の主張があなたにしっくりくるからといって、
それが真実であるということにはなりません。
誰かの結論を安易に受け入れるのは止めましょう。
ここに書いていることについても、です。
誰かの主張や結論を鵜呑みにするのではなく、
あなた自身の欲望を観察して、
ご自身でその真偽を確かめましょう。
そのためには自己の動きを最後まで、
追い込まなければなりません。
あなたが自己の運動を本当に理解すれば、
自己の動きは自然に止まり、欲望は消滅します。
人は欲望なしに生きることができます。
欲望の構造全体を理解すれば、欲望は大人しくなります。
自己を注意深く観察することによって、
私の言っていることの真偽を確かめてください。
親鸞の言葉を鵜呑みにして、
一生欲望とつき合っていこうとするのではなく、
「人は本当に欲望から自由になることはできないのか」
まずは内部に深く潜って、ご自分で答えを見出しましょう。
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