レッテル・ラベルを貼ることの危険性

2020/08/01

気づき 観察 思い込み 条件付け 思考 利己的な私 理解 洞察 事実

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決めつけると探究できない


私たちの脳つまり思考は
レッテルやラベルを貼ることが
大好きです

というのはレッテル/ラベルを
貼ることによって
対象を注意深く観察する
必要がなくなるので
脳はその分リラックスできるからです

しかしラベルを貼った瞬間
人は対象物をあるがままに
観察することはできなくなります

決めつけた瞬間、
そのものを探究することも
理解することもできません



それでは私たちが日々
どのようなことを決めつけているか
共に見ていきましょう

✓彼女の考えることは大体想像できる
✓彼はステレオタイプな人だ
✓私は自律神経失調症だ
✓私は精神障害を患っている
✓人は決して苦しみから自由になれない
誰もが葛藤を抱えて生きている
✓私は頭が悪い

決めつけが理解を阻む


「彼女はこういう人だよね」とは
よく使うフレーズですが
私たちが断定した瞬間
相手を正しく観察することも
理解することもできません

「この人はこう」という
色眼鏡をかけて見るので
相手を理解できないのは当然です

あなたの観察は
あなたの決めつけに
色づけられてしまうからです



相手が何を言おうと何をしようと
あなたは自分の見解が正しいことを
証明することばかりを考えて
相手を見ています

そして相手があなたの思い通りの
行動をすれば「ほらね」と
心の中で呟き見えない所で
ガッツポーズをするのです

※『色眼鏡を外す』を併せて
  お読み下さい



しかし...

決めつけという
色眼鏡を外さなければ
あなたは自分の頭の中にある
相手のイメージと交流しているだけで
実際の相手とは関ってなどいないのです

※『イメージと関わる
  を併せてお読み下さい



病名はあなたじゃない


病名というのは医師に
都合のいいものであり
私たちにとってはあまり
役に立ちません

個人的なことになりますが
2か月前ぎっくり腰をしました

過去にぎっくり腰は
経験していましたが
今回はいつもと違い
1か月たっても治らないので
病院に行くと軽度のヘルニア
と診断されました

医師はそれが仕事だから
病名をつけますが私が
「ヘルニアだ」と言うときには
ヘルニアだから腰が悪いのは
仕方ないことだとそれとなく
主張しています

しかしこのように思った時点で
私は自分の身体を丁寧に
調べることはできないのです

どう動くと腰が痛いのかに
注意を払うことも
身体の癖に気づくことも
今まで動かしたことのない方向に
動かしてみることもありません



自律神経症や更年期と
診察された方の場合も同じです

病名は単なる病名です

ぶっちゃけ治すのに
病名などどうでもいいのです



あなた=更年期ではなく
あなたの身体に表れた症状が
更年期という病名にあたると
いうだけのことです

しかし診断されると殆どの人は
簡単にそれを受け入れて
上手く付き合っていくしか
もう方法はないのだという
結論に至ってしまいます

こうなるともう
自分の身体の中で
実際に起きていることや
心の中で起きていることを
観察することはできません

というのはあなたはもう
「更年期」だと知っているので
それ以上調べる必要性も
感じなければ持たない
からです



私たちは既に知っていることを
丁寧に調べようとはしない
ものなのです

「自分は鬱だ」と私が言うとき
私はもう自分の内側を、心を
深くは調べられないのです

※『結論は好奇心を殺す
  を併せてお読み下さい



しかし....

私たちが決めつけさえしなければ...
結論にさえ至らなければ
自分の身体の中で起きていることを
情熱をもって調べられます

それは精神科医やカウンセラーには
できません

私やあなたにしかできません

彼らにはマニュアル通りに
病名をつけて症状に合う薬を
処方すること位しかできませんが
私たちは症状そのものが表れている
身体と四六時中一緒にいるわけだから
いつでも自由に探究できるのです



もう1つ例を挙げます

「私は頭が悪い」

こうあなたが決めつけるとき
あなたはもうあなた自身のことを
理解することはできません

頭が悪いと断定してしまったので
素敵な部分があっても
それを発見することはできないのです

頭が悪いことを既に知っている
あなたがこれから自分自身を
理解しようなどとは思わないからです

「自分のことを十分理解している」
 と思い込んでいるわけですから
 それ以上探究することは不可能です


あるがままを見つめる



レッテル・ラベルをつけるかわりに
あなた自身に深く潜りましょう

あなたは日々刻刻と変わっているのに
知り尽くすことなど永遠にできない
ことをちゃんと理解しましょう

するとあなたは自分自身の反応や
思考、感情を刻刻と観察するように
なります

そして自分自身について
理解するようになります



その過程においてあなた自身が
無知であることに気づいたのなら
あなたを無知にしているものを
一つ一つ取り除いていけば
よいのです

気づきの欠如が無知の要因の
一つかもしれません

そうであれば自らの日々の行動に
注意を払いましょう



毎日を無意識に送っていると
自分がどのようなことに反応し
どのようなことを考え
どのように人と接しているか
に十分に気づけませんが
あらゆることに注意を払うと
無意識にしていたこれまでの
行為や思考がピタリと止みます

こうなるともうあなたは
無知でも馬鹿でもありません

なぜなら自分自身のことを
分かっていない人が
無知だし本当のバカだから!



このように自らの内面にも
また他者に対しても一切
ラベルやレッテルを貼らずに
全てのものを変わりゆくままに
刻々と観察することで
私たちは自分自身について
他者について物事について
多くのことを理解するように
なります

人や自分や物事にラベルを貼って
特定のボックスに入れると
私たちの脳は注意を払わなくて
いいのでリラックスするかも
しれませんがそれでは
ボックスにしまった中身を
精確に理解することはできません

この事実をしっかりと見ましょう

事実を見るならあなたは
あらゆる決めつけ・結論を
手放します

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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