自己観察・自己理解・自己を学ぶことにゴール<終わり>はない

2020/08/13

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自己から自由ですか?』という
 質問に答えた記事を投稿しましたが
 多くの人が到達ポイントなるもの
 があると思っているようです

ですが自己から自由であることに
~それは自己を学ぶことですが~
終わりはありません



「真理に達する」「悟り」
といったワードによって人は
山頂のような到達ポイントが
まるでどこかにあるかの
ように思っていますが
精神的領域において
ゴールというような
固定されたポイントはありません



刻々と自己を注視すること
刻刻と自己から自由である
ことに終わりはないのです



川について理解するには
流れてしまった川について
あれこれ考えを巡らせるのでは
なく..川の水を持って帰り
水質を調べるのでもなく..
目の前を流れている川を
しっかり見なければ
理解はできないように
自己を理解するためには
昨日のあなた~感情や思考~
ではなく今日のあなたを
フレッシュな目で
見つめなければなりません

川の水を掬ってそれで分かった
気になってももはやそれは
川の水ではないように
あなたが自己観察を通して
自分を理解したつもりでいても
あなたの理解は今も変わり
続けているあなたについての
理解ではないのです



昨日自己を観察して得た知識から
今日のあなたを見つめると
その観察は昨日の知識に
歪められるので今日の
あるがままのあなたを
見つめることは決してできません

新鮮なものを見るためには
新鮮な心が必要です

※『知識は自己理解を阻む
 『知識は観察の邪魔をする
  を併せてお読み下さい



固定された心で新たなものを
捉えることはできません

そういうわけで
過去に染まっていない心、
知識や概念で曇っていない
自由な心であるがままの自分..
あるがままの相手..あるがままの
事実を刻々と見つめることが
とてもとても重要なのです



※『好き嫌い・偏見という眼鏡
  を併せてお読み下さい


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☆☆

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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