真我・本当の自分・完璧な自分・純粋な自分とは?

2020/08/15

イメージ 概念 愛 真理 自由 秩序 気づき 観察 利己的な私 理解 洞察 事実 瞑想 問う 疑う

t f B! P L






多くの人が心の奥底で
【本当の自分は完璧である】
と信じています

なぜなら人は伝統に
条件づけられているからです

※『条件付け』を併せてお読み下さい



「あるがままのあなたで完璧だよ」
というアドバイスはこの伝統から
生まれた観念です

※『ありのままのあなたは完璧
  を併せてお読み下さい



本当の自分、真の自己、アートマン...
様々な言葉を使って既存宗教は
人間の精神に都合のいい観念を
植え付けてきました

私たちの内には神が存在し
それを覆い隠している
利己性を取り除けば
そこには真の実在が...
というわけです

※『真我という錯覚
  を併せてお読み下さい



でも....

この観念を信じているかぎり
私たちがあるがままの自分を
見つめることはできないのです

なぜなら...醜い自分の姿に
一瞬気づいたとしても
観念が私たちの観察を必ず
否定しにやって来るからです

観念は言います

「いやいや、本当の自分が
 醜いわけないじゃないか! 
 僕が見ているのは真実じゃない
 本当の僕は完璧なのだから」と..

こうして観念が見たものを
独自に解釈するので
私たちはそれ以上心を
調べられないのです

だから観念をもっている限り
自分自身を正しく観察することは
決してできません



あなたは自分自身を正しく
見つめられないから
自らの自己中心性とずっと
付き合っていくことになります

伝統という過去に染められた
観念を心から追い出さないかぎり
自分自身を正しく見つめて
理解することはできない
ということを理解しましょう



考えてみてください

青色の絵の具のついた絵筆が
ここにあるとします

それを水入れの中に入れると
透明な水は青色に濁ります

このとき青に染まらない部分など
あるでしょうか?

水入れに入った水は
青色に染まるはずです






私やあなたの心もそうなのです

不純な部分があれば
その不純さが心全体に浸透するのです

不純さに染まらない部分~真我~が
あるなんてそんな都合のいいことは
ありません


※『真我について』を併せて
  お読み下さい



つまり...

内部に利己心があるなら
心全体が利己性に染まります

真の自己、内在神などというのは
人間の巧妙な思考が作り出した
単なる概念に過ぎないのです

だから真実ではないものは
全部捨ててしまいましょう



光があれば闇は存在できません

逆もしかりです

闇が存在するところに
「闇の中に光が存在するよ」
と私が真顔で言っても
あなたは信じないでしょう?

なのに心のこととなると
人はそうあって欲しいという
願望から問うことなく
概念を容易に信じてしまうのです



つまり願望を持っているかぎり
私たちは幻想に陥ってしまうのです

希望を与えてくれる概念だ
というだけで人は容易に
「純粋なる自己」の存在を
受け入れるのですから

だから自由に探究するためには
願望や恐怖から自由でなければなりません

そうでなければあなた自身の
願望や恐怖があなたが見たものを
必ず歪めてしまいます

※『執着が行動を決定する
 『恐怖が権威を受け入れる
  を併せてお読み下さい



事実は...

憎しみや妬みがあれば
心全体はその色に染まります

様々な感情の色で混じり合った
心のどこにも透明な部分など
ないのです

このことを理解すると
真我という言葉に惑わされずに
あるがままの自分の姿を
観察できるようになります



利己性を注視することによって
利己性という闇は取り除かれ
光が生まれます

闇を取り除くことで
光は生まれるのであって
あなたの心に最初から
光があるわけではないのです



同じように自らの利己性を
刻々と忍耐強く観察するから
愛が充満するのであって
初めからあなたの内面に
愛が存在しているわけではありません


関連記事
観念(高次の自己)ではなく事実(ありのまま)を観察する

☆☆

オンラインセッションを承っております

詳細はこちらをご覧ください
オンラインセッションについて

このブログを検索

アーカイブ

自己紹介

自分の写真
真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

問い合わせ

名前

メール *

メッセージ *

QooQ