国家主義が敵国を生む

2019/07/08

イメージ 概念 関係 思い込み 条件付け 思考 比較 分離

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以前の記事に質問が来ました。

「なぜ敵国という言葉の何がいけないのですか?」


以前の記事:英和と希求しつつ防衛する矛盾




まず、【敵】は本当に存在するのでしょうか?

しばらく、沈黙して考えて下さい。




【敵国】という言葉は国家主義の上に成り立つ、
言葉ではありませんか?

国家主義とは、民族主義、部族主義が
名前を変えたものに他なりません。

このように思考は非常に表面的な違いに基づいて
形作られているのです。

長い間にわたるこの条件付けを、
しっかりと観察しましょう。

自動的に反応するかぎり、
私たちはコンピューターと変わりません。

プログラムされた通りに、
私たちは物事に反応し判断するのです。






ですから私たちの反応・条件付けを徹底的に調べましょう。

分離のあるところには必ず衝突が、
生まれるということを骨の髄まで理解するとき、
私たちは国家主義を手放すのではありませんか?

人間同士を地域ごとに分けたり肌の色、宗教、文化、言語
によって分けることが対立を生む原因だとわかれば、
私たちはその分離を一掃しませんか?




筆者が中国人で、あなたが日本人だとします。

国家主義に基づく限り、私たちは互いのイメージをもちます。
出会う前から私たちは、互いのイメージをもっているのです。

私たちはそのイメージで相手と出会い、
相手を判断するのです。




ですが国家主義の危険を理解するとき、
私たちが相手を中国人、日本人として見ることはありません。

私たちはお互いを、一人の【人間】として見ます。

そのときあなたはもはや日本人ではなく、
私も中国人ではありません。私たちは、同じ人間です。

このとき私たちを隔てていた壁が、崩壊します。




あらゆるイメージも、消滅します。

あなたが中国についてもっているイメージ、
私が日本についてもっているイメージが、
雪崩のように一気に崩れ落ちます。

私たちはもうイメージというフィルターを通して、
互いを見ません。

国家主義を手放すことで私たちは、
相手を歪みなく見ることを阻む、
フィルターを取り払えるのです。




イメージを取り払ったとき、
私たちはようやく目の前の相手と出会います。

私たちは国というイメージだけでなく、
様々なイメージをもっていますが、
イメージで相手を見ることの危険を見て、
国家主義だけにとどまらず、
一切のイメージを落としましょう。

そうでなければ私たちは決して、
相手と出会うことはできないし、
理解することはできません。

というのもイメージを落とさなければ私たちは、
相手とではなく自分がこしらえたイメージと、
出会うだけだからです。

刻々と変わりゆく相手の心の動きを、
固定されたイメージで理解しようとしても、
土台無理なのです。





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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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