分離・争いを生む既存宗教は全人類に必要なし

2019/10/23

依存 執着 権威 思考 神 真我 魂 比較 分離

t f B! P L






今回は宗教に関する質問を2つ紹介します。
自分に投げかけられた問いとして、調べていきましょう。


① 宗教は不幸な人々のための惨めな慰めに過ぎないのであって
  幸福な人々には不要なものですか?


     =============


私たちは単調な日常を超えたものを探究していくなか、
苦しみ・悲しみを超えたものを探求していくなかで、
神や救世主といった概念を作り出し崇めるようになりましたので、
概念を信仰し儀式を行うことを
概して宗教と呼ぶようになりましたが、
本来宗教とは未知のものをを探究することであって、
この意味において信仰・信念・儀式と宗教は全く別物です。

つまり既存の宗教は真の宗教ではありません。

おそらく質問者さまは信仰について質問されていますので、
ここでは信仰を目的とするものを宗教と分けて『既存宗教』
と呼ぶことにします。




既存宗教が人々の苦しみを忘れさせてくれる
避難所になっているのは事実ですが、
それが彼らの気分を良くするものかどうかに関わらず
既存宗教が争いの原因であることを見て
その一切を退けねばなりません。

世界に平和を望むのであれば、
分離・争いを生む元凶を退けなければなりません。



関連記事:人はなぜ神を求めるのか?





② 宗教を信仰してる人と無宗教の人。どちらが幸せ?
  無宗教の人の方が幸せに見えるのは私だけですか?


     =============


特定の宗教を信仰しない人でも、
違うものを信じ崇拝し依存しているかもしれません。

たとえばお金、名声、成功、仕事、SEX、自分の意見、
スティーブジョブスといった成功者たち、
スピリチュアルカウンセラーやグル、教祖、TV、
ハリウッドスターやアイドルに依存しているかもしれません。

この場合、宗教を信仰する人も異なるものを信じる人も
信仰という点においては何ら変わりません。


どちらも限定されたものを信じそれに依存しており、
信仰・依存対象が何であれ信仰・依存があるところには
必ず恐怖や願望があります。

恐怖や願望のあるところ平安・安全はありません。





〜 宗教を信仰してる人と無宗教の人、どちらが幸せ? 〜

幸せは個人の感じ方次第ですので判断できませんが、
自由という観点から見ると対象物が神であれお金であれ
信じることに囚われた精神は決して自由ではありません。

何にも縛られず囚われない精神だけが自由なのです。


関連記事
快楽と恐怖は隣り合わせ
何も信じない! 信念・信仰を手放す
自由に生きる/思考・過去・自己からの自由

このブログを検索

アーカイブ

自己紹介

自分の写真
真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

問い合わせ

名前

メール *

メッセージ *

QooQ