今回は宗教に関する質問を2つ紹介します。
自分に投げかけられた問いとして、調べていきましょう。
① 宗教は不幸な人々のための惨めな慰めに過ぎないのであって
幸福な人々には不要なものですか?
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私たちは単調な日常を超えたものを探究していくなか、
苦しみ・悲しみを超えたものを探求していくなかで、
神や救世主といった概念を作り出し崇めるようになりましたので、
概念を信仰し儀式を行うことを
概して宗教と呼ぶようになりましたが、
本来宗教とは未知のものをを探究することであって、
この意味において信仰・信念・儀式と宗教は全く別物です。
つまり既存の宗教は真の宗教ではありません。
おそらく質問者さまは信仰について質問されていますので、
ここでは信仰を目的とするものを宗教と分けて『既存宗教』
と呼ぶことにします。
既存宗教が人々の苦しみを忘れさせてくれる
避難所になっているのは事実ですが、
それが彼らの気分を良くするものかどうかに関わらず
既存宗教が争いの原因であることを見て
その一切を退けねばなりません。
世界に平和を望むのであれば、
分離・争いを生む元凶を退けなければなりません。
関連記事:人はなぜ神を求めるのか?
② 宗教を信仰してる人と無宗教の人。どちらが幸せ?
無宗教の人の方が幸せに見えるのは私だけですか?
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特定の宗教を信仰しない人でも、
違うものを信じ崇拝し依存しているかもしれません。
たとえばお金、名声、成功、仕事、SEX、自分の意見、
スティーブジョブスといった成功者たち、
スピリチュアルカウンセラーやグル、教祖、TV、
ハリウッドスターやアイドルに依存しているかもしれません。
この場合、宗教を信仰する人も異なるものを信じる人も
信仰という点においては何ら変わりません。
どちらも限定されたものを信じそれに依存しており、
信仰・依存対象が何であれ信仰・依存があるところには
必ず恐怖や願望があります。
恐怖や願望のあるところ平安・安全はありません。
〜 宗教を信仰してる人と無宗教の人、どちらが幸せ? 〜
幸せは個人の感じ方次第ですので判断できませんが、
自由という観点から見ると対象物が神であれお金であれ
信じることに囚われた精神は決して自由ではありません。
何にも縛られず囚われない精神だけが自由なのです。
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