質問:「自分のことを考えなくなった時が一番、
自分を見失っていると言えますか?」
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利己性が観察を歪ませ行為は限定される
自分のことを考えないときのみ
人は混乱を生まない全体的な行為をとることができます。
自分のことを考えているとき、私たちの視界も考えも
自分中心に限定されますが、
自分のことを考えていないときには限定されないので、
物事をクリアに見ることができます。
ブルーのサングラスをかけると物は青く見えるように、
自分の意見や自分の成功・野心に縛られていると、
その色に染まり物事をクリアに見ることはできません。
利己的な行為は必ずぶつかる
自分のことを考えているときの
私たちの考え・行動は自己本位です。
このように皆が自己本位に行動すると、
互いの間で摩擦が生じます。
各々が自分中心に動くからです。
しかし自分のことを考えないとき、
自己という中心から物事を観察しないので、
その観察は限定されておらず全体的です。
全体的な観察から生まれる行動には、
その観察同様偏りがないので、全体的で秩序があります。
利己性から解放されると自由になる
自分のことを考えていないとき、人は自由です。
悩みや心配、目標や為すべきこと、
理想という自己に関わる全ての荷を降ろしているので、
軽やかに自由に伸び伸びと生きることができるのです。
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