「ピンチはチャンス」は本当ではない、観念だ

2019/10/18

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質問:ピンチをチャンスと捉えますか?
   チャンスと捉えないなら、
   ピンチをどのように捉えますか?



以前の私なら、どこの社長さんだか経営コンサルタントだか
わからない人の放った言葉でも励みになるのであればと、
問うこともなく愚かにも受け入れていたかもしれません。

しかしあらゆる結論を捨てた今
どんなことにも新たな心で出会い観察し
その真偽を確かめることができます

ですから今回は「ピンチはチャンス」という言葉を
偏見やイメージなしに、その真偽を確かめましょう。

ピンチは本当にチャンス?


「ピンチはチャンス」は諦めないことの大切さを主張していますが
この主張はさておき、ピンチはチャンスというのは本当でしょうか?

その状態のある人にとってピンチは紛れもない事実ですが、
それをチャンスと捉えるかどうかは、
各々の思考によって異なります。

つまりチャンスだと思うも思わないも信念に囚われた幻想で、
思考の産物だということです。

だから・・  ピンチの状態にいる自分 = 事実
       ピンチはチャンス    = 観念

ピンチはピンチでしかありません。w

「ピンチはチャンス」は観念!?


「ピンチはチャンス」は「失敗は成功の元」と同じ匂いがします。

「失敗することで見えてくるものがある」とか
「苦しみを経験したから他人の苦しみがわかる」
「痛みを知っている人は他人に優しい」という考え同様、
思考が強引に考え出した慰めであり励ましではないですか?

「ピンチはチャンス」とは社長であり
経営コンサルタントとしても活躍された方の名言だそうですが
いかにもビジネスマンが考えそうな言葉だなあと思います。

ピンチをピンチと認めてしまうと
前へ進めなくなることを恐れた自己が自らを鼓舞するために
作り出した観念であり、人間が神を作り出したプロセスと
何ら変わりはありません

いずれにせよ事実を見ていれば
観念に惑わされることはないのです。



ピンチはピンチでありそれをチャンスと主張するのは
思考でありそれは事実ではありません

私たちは事実より観念を大事にする傾向にありますが、
変化するのは観念ではなく事実だということを
理解しましょう。

また観念をもつことの危険性を理解しなければ、
観念を捨てる必要性を感じないでしょうから、
ここからは観念をもつとどうなるか調べていきましょう

観念が観察を歪める


観念が大事になると、
人は現在〈いま〉を生きることはできません。

到達すべき理想や目標が大事になると、
私たちの意識は未来にあって現在にありません。

ですからどんなに魅力的で勇気を与えてくれる観念だとしても、
観念をもっていては今を生きることはできないのです。

意識が観念に飛んでしまい現在にないということは、
ピンチの状況にきちんと対処することはできません

つまり観念をもっているかぎり
ピンチの状態を精確に観察することも
状況に適切に対処することもできないのです

事実のみと向き合う


観念に沿って行動している限り、
私たちは過去に囚われて生きることになります。

ではどうすれば良いのでしょうか?

ピンチをチャンスと捉えることも、
別のものに捉えることもしません。

事実を見てさえいれば、
捉える必要など何処にもないからです

捉えるのは思考であり、
観念が事実ではないことを理解したあなたは、
観念を一掃してありのままの事実と向き合います。

いいですか?

事実だけが起こっていることであり、その他は幻想です。

事実だけが起こっていることであり、
その状況をあなたの思考がどのように解釈しようと
それは事実ではありません。

思考の巧妙さに気づく


いま起こっていることだけが事実です。
私はピンチの状態にある、ということだけが事実です。

それ以上でもそれ以下でもありません。

思考が「チャンス」と叫ぼうと、それは思考の戯言です。

思考は希望の光となりそうな無数の観念を、
都合良く作り出しますがどれも概念です。

ですから思考の巧妙さに気づきましょう。

思考の正体に気づいたら、
あなたは今この瞬間から思考に振り回されません。

ありのままの事実を見て刻々と変わる状況についていくには、
観念を払拭しなければなりません。

私たちは様々な観念に慣れ親しんでおり
無意識にそれに従って行動しますが
起こっている出来事を見つめて
その変化に刻々と対応できる鋭敏さがあれば
他には何一ついらないのです

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☆☆

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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