人間の生全体に及ぶ哲学:哲学は役立つのか?

2019/10/14

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質問

哲学とは何ですか? 哲学って何の役に立つんですか?
どう考えても机上の空論に過ぎないと思うのですが?


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ブログで伝えているような話をすると「哲学だね」
と言われることがありますが、
相手が哲学の真の意味を捉えていることはあまりなく
とんちや机上の空論というイメージを
私の話の内容に重ねているようです。

人は目の前の相手を早く理解したいがために、
自分が知っているものに相手を分類しようとします。

相手を分類することで、私たちは安心します。
認識できると安心します。

そして自分の知識から同じカテゴリーの知識を引っぱり出して
相手と会話するのです。

こんなことをしていては、
相手と本当に関わることはできません。




話が逸れましたが....

確かに有名な哲学者の書物を読むと、
とんちのようなイメージをもってしまうのも仕方ないことですが、
ここでは哲学の語源を理解し「哲学」が本当に意味するものを、
一緒に調べていきたいと思います。

哲学とは知恵を愛することと、言われています。

哲学は英語でフィロソフィー philosophy
フィロソフィーの語源は ギリシャ語 philosophia
philosophia は philos(愛)+ sophia(知恵)

つまり哲学とは[知恵を愛すること、学ぶことへの愛]です。




ここで多くの人が哲学は知識を愛することだと
勘違いするのですが知恵と知識とでは全く違います。

「学び」に関しても、殆どが知識を蓄える「学び」だと
思っていますが知識や技術を学ぶといった「学び」とは
全く異なる「学び」があります。

知恵 過去に基づいていない   知識 過去に基づく
   蓄えられない          蓄えられる
   未知のもの           既知のもの
   未知についての学び       既知についての学び




知識はどんな知識でも過去に基づきますが、
知恵は過去に基づきません。

あらゆる知識は過去の色に染まりますが、
知恵はそうではありません。

知識は学問を通して蓄積することができますが、
知恵は蓄積できるものでは決してありません。

教科書や書物、仕事を通して得られるものは知識であり、
知恵ではありません。

幾千年もの過去に根ざした知識とは違い、
刻々と変化する現在〈いま〉を学ぶことが知恵です。

この学びには方法はなく、
先生や書物のような指導者は存在しません。

なぜなら方法や指導者は、
既に経験した者がいなければ存在し得ないものだからです。

現在〈いま〉は全ての人にとって新たなものであり、
未知のものなのでこれを学ぶ方式はありません。


またこの学びは、知識のように蓄積することはできません。

というのも新たなものには
まっさらな心でしか出会えないからです。




未知のものを学ぶことが知恵であり、
これに情熱をかけることが「哲学」です。


刻々と新たなこと、過去に染まっていない現在〈いま〉を
学ぶことを精励することが「哲学」です。

人間を学ぶ教科書は哲学書ではなくあなた自身です。

あなたがその教科書です。

刻々と変わりゆくあなたの感情を理解するには、
あなた自身を刻々と観察するしかありません。

哲学は「未知を学ぶことへの愛、生きることへの愛」です。




哲学が役に立つのか? との質問にはこう答えます。

自分という土台がしっかりしていないと、
何をやっても崩れてしまうので
自分という未知なるものを学ぶという
本来の意味での哲学は非常に役立つのではないでしょうか?

真の哲学とは私たちの生全体に及びます。

どのように人と接しているか、自然や動物と接しているか、
悲しみや苦しみなどの内面に生じる感情と
どのように向き合っているか、
これら全てが哲学なので生きること=哲学と
いえるのではないでしょうか?

哲学とは知的欲求を満たす知的行為ではなく、
自分の生を刻々と観察して誠実な生き方を
探究していくことではないでしょうか?

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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