これまで苦しみ/ 悲しみについて探究してきましたが、
1つ伝え忘れたことがあります。
過去の記事:苦しみ・悲しみから逃避する
苦しみ・悲しみを探究する①
苦しみ・悲しみを探究する②
それは苦しみ/ 悲しみに直面するとき、
あなたがそれをどうにかしたいという動機をもつなら、
苦しみ/ 悲しみを理解することはできないということです。
「苦しみ/ 悲しみにある心の状態がたまらなく嫌だ、
できることならその状態を避けたい」というような動機をもって
調べるなら、あなたは自由に探究することはできません。
あなたの動機が、探究を限定してしまいます。
それはあなたに都合のいい探究です。
見たいものを見て、見たくないものには目をつぶります。
どうにかして逃れたいという動機が、
自由な探究を阻みあなたの探究は動機に色付けられ限定されるので、
それは自由な探究ではありません。
殆どの人は苦しみ/ 悲しみと直面するとき、
何らかの動機をもっています。
苦しみ/ 悲しみを克服したい、コントロールしたい、
超越したい、自由になりたいというような動機があります。
先程もお話しましたように動機があると、
苦しみ/ 悲しみを理解することはできません。
動機が悲しみへのあなたの反応を、決定するからです。
「他の人ではなくなぜ自分がこんな目に遭うのか知りたい」
というような動機があれば、あなたは因果応報などの
概念を見いだします。
- 過去に悪い行いをしたから、今その報いを受けているのだ
- 他人の痛みをわかるために、試練を受けているのだ
- この苦しみは神の愛だ、神が私を浄化してくれているのだ
- これは将来多くの人を助けるための試練だ
しかし例え悲しみの理由〈わけ〉を知ったとしても、
あなたの悲しみが消えてなくなるわけではありません。
本の帯を読んでその本の内容はわからないように、
悲しみの理由がわかっても、
悲しみを理解したことにはならないのです。
苦しみ/ 悲しみについて書かれた書物をどれだけ読んでも、
あなたの苦しみ/悲しみを理解することはできません。
本当に苦しみ/ 悲しみを深く理解したいのなら、
あなたはいかなる動機も、いかなる書物・宗教・精神科医も捨て、
苦しみ/ 悲しみという海に深く潜らなければなりません。
逃避することなく事実を観察するとき、
事実は真理をひも解きます。
真理を紐解くのは、概念や人ではありません。
ありのままの【事実】が、洞察をもたらすのです。
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