私たちの普段の行為は、機械的だと先日の投稿でお伝えしました。
そしてそれは常に思考に基づいていると。
先日の投稿
型にはまらない機械的ではない善の行為
断片的な行為
「これをしたら○○が得られる」
○○に入るのは、人からの賞賛や感謝、給料や安全/保証など、
気分を上げてくれるもの、安定を与えてくれるものであり、
私たちは賞罰・快不快に基づいて、行動します。
しかし思考に基づいている限り、
私たちの行為は限定的・断片的・分離的で
矛盾や対立を生んでしまいます。
なぜならその行為は常に
中心の「わたし」から発信されるからです
あなたがあなたの中心から、私が私の中心から行動する時、
そこには必ず分離が生じ、私たちは衝突します。
思考に従って行動すると....
思考に基づいている限り、自由でありません。
思考に基づいて行動しているかぎり、
終わりのない葛藤を抱えて生きることになります。
そこで葛藤を生まない行為があるかのを、調べます。
誰とも対立しない・分離や争いを生まない行為は
あるのかを問います。
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思考の限界を洞察する
葛藤・混乱・衝突を生まない行為
葛藤を生まない行為とは、思考に基づかない行為です
先日の記事では善の行為・真の行為と表現しましたが
表現に抵抗があり理解の妨げになった方がいましたので、
今回は理性的な行為と表現します。
本来、利己的で断片的な思考に基づく行為は、
混乱や衝突をもたらします。
思考自体が断片的なので、混乱を生むのも当然です。
しかし葛藤や混乱を生まない理性的な行為があります。
普段の利己的な行いが混乱や葛藤、衝突をもたらすことを
洞察するとき、それは生まれます
利己的な行動をとり続ける危険を見るとき、
あなたのこれまでの行動は止みます。
普段の行為が止むとき、
思考から自由な理性的な行為が生まれます。
それは経験・知識といった思考に基づかない行為であり、
葛藤を生まない行為です。
経験や知識は付け加え得るものなので、
常に限定的で、個人により異なるので、
これらに基づいて為される行為は
他者との間に対立・衝突を引き起こしますが、
理性的な行為は違います。
洞察が行動を変える
経験・知識に基づく行為の危険を実感したとき、
その洞察が即行為をもたらします。
そこには思考の入り込む余地はありません。
洞察と行為の間に時間は存在しません。
洞察即行為です。
危険を及ぼすものからは、思考する前に離れるように、
これまでの行為が混乱をもたらすことを洞察すると、
洞察が瞬時に行為をもたらします。
トラックが突っ込んできたら、あなたは迷いません。
考える前に身体が先に動くでしょう?
あなたの行為は、瞬時に起こります。
危険への知覚が、瞬時の行動を生むのです。
このように知覚から生まれる行為に、思考の介入はありません。
だから洞察から生まれる行為は、
混乱・葛藤・衝突をもたらすことはないのです。
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全体性・ホールネス
洞察が瞬時の行動を生む
正しい秩序ある全体的な行為
正しい行為は混乱が終わるとき生まれる
正しさがわからないのは事実を見つめていないから
エゴを落とすと誰とも対立・衝突しない行為がとれる
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