自己観察≠自己受容



ありのままの自分を観察することと、
自己受容は全く違います。

多くの自己啓発本やカウンセラーに一緒くたに扱われていますが、
自己受容は自分を受け入れる中心が存在しますが、
ありのままの自分を観察する際には【中心】は存在しません。

どういうことなのか一緒に見て行きましょう。

自己受容については以前お話したように、
自分を受け入れて認める【わたし・自己・自我】が存在します

一方、ありのままの自分を観察する際、観察者は存在しません。

これは一体、どういうことでしょうか?


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観察者は観察対象物



観察者である【わたし】は、観察対象物である【わたし】です。

自己受容や自己否定、自己愛においては、
観察者である【わたし】が観察対象物である、
【わたし】を受容したり否定したり愛したりします。

しかし一方が他方に働きかけることができるのは、
観察者と観察対象物が異なる場合においてのみです。

観察しているのは【わたし】であり、
観察している対象も【わたし】であるとき、
そこに二元性は存在しません。


よって、いかなる働きかけも起こり得ません。





内部に二元性はない



見る者が見られるものであるとき、
そこに二元性は存在しません。

見る者が見られる対象を、
受け入れたり認めたりすることは不可能です。

観察者が観察対象物であるとき、
受け入れ認めることのできる観察者は存在しません。

二元性が存在しないとき、
そこには分離は生まれないので受容や批判は起こりません。


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自己観察=ありのままの自己を観察する



ありのままのあなたとは実際のあなたです。

実際のあなたしか存在しないのに、
受け入れたり認めたりすることのできる、
存在なんてどこにもいません。

自己を観察していくなかでこのことを見抜きます。

あなたはあなた自身を観察しながら、
自分は何もすることができことに気づきます


努力し抑制し愛し優しくなろうと、
働きかけることの虚偽を見ます。

働きかけは二元性の存在なしには、
起こりようがないからです。

こうしてこれまで必死に受け入れたり批判したり
我慢することにエネルギーを浪費していたことに、
気づきます。

無駄な悪あがきだったことに、気づきます。

そのときもはやあなたは以前のように
忙しくあちこち走りまわることはしません。

あなたは静止します。

今までのようにエネルギーを無駄に使わないので、
あなたは十分なエネルギーに満ちあふれています。

疲労困憊していないあなたは
満ち溢れるエネルギーでありのままの自分を観察します。


すると、ありのままのあなたが花開きます。


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何が花開くのか?



ありのままのあなたが明らかになります。


  • あなた=思考
  • あなた=記憶
  • あなた=蓄えてきた知識
  • あなた=悲しみ
  • あなた=怒り
  • あなた=恐怖
  • あなた=嫉妬
  • あなた=苦しみ
  • あなた=野心
  • あなた=欲望
  • あなた=憎しみ
  • あなたは、過去の集大成であること





あなたの中身



あなたは過ぎ去った上記のもので出来ていることが
わかります。

それは手に掴むことのできない、
空気のようなものだとわかります。

あなたは、実体のないものであることがわかります。

肉体や名前以外、空っぽであることが開示されます。


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観察が自己を明らかにする



既存の宗教やスピリチュアル世界で言われるような、
魂の存在はありません。

より高い自己・アートマンは存在しません。

内なる神も存在しません。

永遠の魂やより高い自己、アートマンや内なる神は、
私たちの中身が空っぽだという事実を認めたくなくて、
もっと聖なる何かが存在するハズだと信じて、
作り出したものに過ぎません。


自己観察をしていく中で、これは明らかではありませんか?

ご自身の中身を、よく調べていくと明らかです。

幻想や信念、偏見を一切取り払って調べてみると、
明白な事実です。

実際の私たちの中身は、過ぎ去った過去の集大成です。





過去からの自由



自己観察によってこのことを洞察すると、
過去から自由になります。

あふれるエネルギーがこのような観察をもたらし、
過去の集大成の一切を焼き尽くします。

あなたは、これまでのあなたとは異なります。

ご自身の中身の虚偽を見たあなたは、
頭の中のおしゃべりに注意を払うことはもうありません。

必要なとき以外、このおしゃべりは再生されません。

思考が止んだときどうなるかは、
ご自身でやってみないとわかりません。

わたしが言えるのはこれまでとは全く異なる
秩序ある行為が生まれるということだけです。





まとめ



自己受容や自己愛という響きの良い言葉に
惑わされないでください。


その虚偽をしっかりと見抜きましょう。

そのためにはあなたは、自由でなければなりません。

何かの結論や意見につながれていては、
真偽を洞察するなどできません。

自由でいるためには、
あなたを不自由にしているものを、
すべて取り除かなければなりません。

あなたを杭につないでいる既知のもの〜
知識・信念・理想・意見・道徳・権威・信条〜
を取り除きましょう。

これらにつながれたままでは、
真偽を見抜くことはできません。

自由な生とはこの一切から自由になることです。

悲しみ・苦しみ・葛藤のない自由な生を生きるには、
あらゆるもの真偽を確かめて、
虚偽を取り除かなければなりません。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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