思考を固めないで対立の根源を断つ

2019/12/09

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A みんな違って当たり前と人々が思えたなら、
  対立・ケンカ・諍いは起こらないですよね?

私 そのように考えるのはあなたの思考ですよね?

  寛大でありたいと願う狭量な精神が、
  異なる意見、異なる思想、異なる観念を
  寛大に受け容れようとします。

  あなたの意見は寛大ではない狭量な精神が、
  必死に捻り出したものではありませんか?

  みんな違って当たり前という結論に達するのは、
  人と人のどこが異なるのかを深く問わない、
  物事に深く入っていくことを放棄した精神ではありませんか?

  あなたがどんなに立派な観念をもっていても、
  日常生活において人と対立していたら、
  あるいは対立を避けて人と関わらないなら、
  その観念は役立つどころか、
  あなたが人と関わることを邪魔しませんか?




A 観念が言い争いを制御することもあります。

私 頭ではみんな違って当前、と思っているかもしれませんが、
  あなたが異なる意見をもつ人を前にしたとき、
  その人をあなたは理解しようとしますか?

  それとも意見がまったく合わないので、
  話を止め、心のシャッターを降ろしますか?




A そうですね、

  たしかに異なる意見の人を理解できませんが、
  異なる考えの人もいるのだと寛容に受け容れることはできます。

私 それは受け容れたと言えるのでしょうか?
  心のシャッターを降ろすことは寛容ですか?

  ぶつかることを恐れて相手と話をしないことが
  受け容れることですか?

  それはただぶつかるのが嫌だから話し合わないだけで、
  あなたが寛大なわけではありません。




A しかし言い争いは避けられます。

私 そうですね、言い争いは避けられますが、
  あなたは人と関わり理解し合う機会も同時に失います。

A でも意見が違うのだから仕方ないじゃないですか。

私 どんなに立派な意見であっても、
  意見は人を対立させるということを、
  理解しなければなりません。

  ですから対立を回避するために観念を作り上げるのではなく、
  対立の根源である意見を焼き尽くすことが大事です。




A 対立の根源は意見だということですね?
 
私 はい意見もその一つですが.....
  もっと深く調べて行きましょう。

  本当にあなたと私は異なるのか、
  人間同士の何が異なるのか調べましょう。

  あなたと私を分離するものが何かを、見出しましょう。




A 外見は当然違います。
  名前や年齢も違います。
  これまでの経験も。

私 そうですね、外見は違います。
  経験も違いますし、育った環境や受けた教育も違います。
  影響を受けた本や人物も違います。
  性格も違います。

  しかし外見以外のこれらの違いは、その中身こそ違えど、
  非常に似通っていませんか?
 
  私の寂しさはあなたの寂しさと同じではありません。

  しかし寂しさ、孤独、喜び、怒り、嫉妬、憎しみ
  という感情は、あなたも私も持っています。

  言語は異なっても、感情は人類共通なのです。

  優越感や劣等感、充足感や不満、絶望は、
  個々によって対象や程度の差はありますが、
  地球の裏側にいる人々もこれらの感情をもって
  日々を過ごしています。




A そうですね。悩みや夢や目標、希望があることも
  共通していますね。

私 ということは私たちは人類全員で、
  意識を共有していると言えませんか?

  あなたの悲しみ、私の悲しみといった、
  個別の悲しみがあるのではなく、
  私たちは悲しみを人類全員で共有しています。




A 私はあなたであなたは私、ということですね?

私 あぁ、それは非常に危険な思想です。
  ご存じの通り、過去の宗教者やグルの中には
  そのように主張された人もいますが、
  あなたにとって、それは事実ですか?

  もしそれがあなたにとって事実ではなく、
  どこかで耳にした言葉を口にしているのだとしたら
  あなたにとっては概念でしかありません。

  私とあなたが新たなるものを発見するためには、
  私たちは概念から自由でなければなりません。

  過去から自由ではない精神が、
  新たなものを発見することはできないからです。

  




A しかし、私たちが意識を共有しているということは、
  あなたと私に肉体以外の違いはないということでしょう?

私 そうです。それはあなたにとって事実なのかを、
  私は尋ねているのです。

  私たちは、肉体以外に違いがないことを、
  あなたは本当に実感していますか?

  意識を共有しているということを実感したなら
  「私はあなた」と主張する自己こそが、
  あなたと私を区別している張本人だとわかります。

  ですから「私はあなた、あなたは私」は単なる概念です。

  あなたと私はそれぞれ異なる肉体をもって
  生きているわけですから実際には、
 「あなたは私、私はあなた」ではないでしょう?

  概念をあれこれ語ることに、興味がありません。

  なぜなら概念が人を変えることはないからです。

  「私はあなた、あなたは私」という思想を信じること、
  「みんな違って当たり前」という考えをもつことは、
   同じことでありどちらも危険なのです。

  なぜなら....
  「みんな違う」 という考えをもっていたら、
   自分が全人類と意識を共有しているという発見はできないし、
  「私はあなたであなたは私」という考えを持っていたら、
   人と喧嘩するたびに、ありのままの自分との間で葛藤します。

  


  ですから葛藤をもたらす思想・観念・意見を全て捨てましょう。

  諍いを起こしたくないのであれば、
  諍いの原因を突き止めてそれを手放せばよいのです。

  観念を作り上げてその通りに生きようとする必要はありません。

  意見をもつかぎり異なる意見の人と対立すること、
  あるいは対立を回避できても、別の意見の人と、
  理解し合えないことを、しっかり理解しましょう。

  


  意見をもつことの危険を洞察するなら、
  あなたは益にもならない意見をさっさと片づけるでしょう?

  大切なことはカオスそのものである思考で、
  秩序立てようとしても秩序は生まれないことに気づくことです。

  するとあなたの思考は静まります。
  対立をなくすための観念作りも終わります。

  カオスそのものである思考が静止するとき、
  ようやく秩序が生まれるのです。

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  ☆☆

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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