愛についての考察:愛ではないものを否定することで愛は現れる

2019/11/23

愛 真理 自由 秩序 依存 執着 思考 動機 欲望 願望 利己的な私

t f B! P L






-- 質問 --

重すぎる愛情は、精神的な負担を与えますか?
愛と依存に違いはありますか?
愛するのは相手が真実を教えてくれるからであって
安楽や幸福や快適さをくれるからではないのでは?





愛について「知らない」ことを理解しよう



問いを調べる前に、愛について少し考えてみましょう。

正直な人は愛について何も知らないことを、知っています。

なぜなら私たちはあまりに利己的で、
自我のないときに現れる愛に出会ったことがないからです。

ですから愛とは何か、人に伝えることはできません。
知らないのですから当然です。

あなたが偽善者なら人に伝えることはできますが、
心の奥底では自分が知らないことを知っています。

つまり正直者には、愛を語ることはできないのです。





愛ではないものを否定することは可能!



愛を語ること、描写することはできなくても、
愛ではないものなら私たちにもわかるのではありませんか?

真理と同じように愛について知りませんが、
愛ではないものを否定することで、
愛を掴むことができるのではないでしょう?

愛ではないものを否定し終わったとき、
残ったものが愛と言えませんか?

未知の愛を既知の知識で理解することは不可能ですが、
愛ではない既知のものを
一つ一つ消去していくことはできます。





概念は愛ではありません



実に多くの哲学者や宗教者たちが、
愛を抽象的に語ってきました。
 
しかしそれは思考が巧妙に作り出した概念であって、
思考の範疇を超えないのでそれは既知であり、
未知である愛ではありません。

ですから愛ではないものを一つ一つ、
消去していきましょう。

愛ではないものを否定することで、
もしかしたら愛に触れることができるかもしれません。

では否定していきましょう。





愛ではないもの



・ 愛は執着や嫉妬ではありません。
・ 愛は欲望や願望ではありません。
・ 愛は所有ではありません。
・ 愛はセックスではありません。
・ 愛は憎しみではありません。
・ 愛は思考ではありません。
・ 愛は利己性・自我ではありません。


なぜ上記のものを否定するのか?

これらは全て自我から生じるからです。

自我は過去の知識や経験の集合体ですが、
全て過去に根付いていて既知のものなので、
未知である愛を知るためには、
既知を一掃しなければなりません。

愛はここで否定したもの以外のものである、
としか愛を描写することはできません。

では早速問いを調べましょう。





愛情にエネルギーのロスはありません



重すぎる愛情は、精神的な負担を与えるのか?


重い愛や軽い愛があるでしょうか?
大きい愛や小さい愛といったものがあるでしょうか?

人を愛することであなたが疲弊するなら...
恋人の愛情を重いと感じるのなら...
それは愛ではない何かでしょう。

というのは愛することに、
エネルギーの損失はないからです。

自我の動きのないとき、
エネルギーの損失はありません。

エネルギーの損失は自我が活発なとき、
つまり嫉妬や所有欲、疑い、相手を失う不安や恐れ、
性的な欲求といった行為にあるのです。

上記のような利己的な感情をぶつけたりぶつけられると、
確かに精神的にきついでしょうが、
それは愛とは全く別物です。





依存は自我の動き



愛と依存に違いはありますか?


愛に自我の動きはありませんが、依存は自我が活発です。

愛は独立して存在しますが、
依存は対象者を必要とします。

愛は必ずしも特定の人に向けられるとは限りませんが、
依存は特定の人を必要とします。

太陽の光が特定の人に限定されないように、
愛も限定されません。

自我がないので、愛に境界はありません。

愛は憎しみや嫉妬に変わることはありませんが、
依存は相手の行為次第で、
憎しみや嫉妬に変わります。





動機があるときそれは愛ですか?



愛するのは相手が真実を教えてくれるからであって
安楽・幸福・快適さをくれるからではないのでは?


どんな動機であっても動機のある愛は、
自我から生じるので愛ではありません。

真実を教えてくれるからという動機があるとき、
あなたの好意は愛ではありません。

そのような気持ちから愛するのも、
幸せになりたいという気持ちから愛するのも、
どちらも自我の動きではないですか?

動機があるとき、それは本当に愛でしょうか?

真理への願望があるから真理に達した人を求める....
幸せになりたい願望からあるからリッチな人を求める....

どちらも願望から生まれる好意であり、
両者に違いはありません。





関連記事
自己・自我は愛さない、愛せない
利己的/自己中/わがままな恋人関係
愛:自我(利己的な思考)からの自由
愛について私達が知っていることの全て

このブログを検索

アーカイブ

自己紹介

自分の写真
真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

問い合わせ

名前

メール *

メッセージ *

QooQ