損得で行動する人が生きる意味や目的を探す!?

2020/03/13

気づき 観察 思考 動機 欲望 願望 利己的な私

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殆どの人は損得勘定で動いている


殆どの人は得することがなければ行動を起こしません

お金になることだったり昇給につながること
精神を高めるための行動にしても
人はメリットがあるから行うのです

ではなぜ人は損得勘定で動くのでしょう?

それは損得勘定で動くように幼い頃から
教えられてきたからです

私たちは条件付けられている


いい子でいるとご褒美がもらえる
ことを私たちは幼い頃に学びます

私たちは子供の頃から賞罰に
条件づけられているのです

仕事が上手くいくと頑張った自分に
ご褒美を贈ったりするでしょう?

成績が上がると両親が喜ぶことが嬉しくて
勉強を頑張るというのもご褒美が欲しいからです


✔ 成績UP→ 周りから一目置かれる→ 優越感

✔ 痩せる→ 異性にモテる   → 幸せ

✔ 勝負に勝つ→ 満足・達成感・自信を得る

✔ 仕事を頑張る→ 裕福になる→ 幸せ

✔ スポーツ得意→ 人気者→ 自信を得る

✔ 金持ちになる→ 地位・名声を手に入れる→ 幸せ
          尊敬されてモテる     

✔ 奉仕・精神修行→満足感・達成感を得る

このように私たちは子供のときから
賞罰という観念の中に条件づけらているので
全エネルギーを費やして罰を避けて
賞を得よとするようになりました

様々な成功体験や失敗体験を通して私たちは
得られる喜び・楽しみを考えてから
~つまり行動に値するかを熟慮してから~
行動するよう条件付けられているのです

つまり私たちの全ての行動が利己的なのです

※『自己中心的な行動

対価なしに行動できる?


あなたは目の前に人参がぶらさがっていないと
行動できなくなってませんか?

人参は自分で用意したものかもしれないし
親や社会が用意したものかもしれません
 
ダイエットのモチベーションを上げるために
成功したときのご褒美を恋人にねだったり
親が人参をぶらさげて子供に勉強させたり
仕事の頑張りが給料に反映されたり...

このように人は行動に対する対価がないと
動けなくなっています

利益のないことに
取り組めなくなっているのです

つまり純粋に行動することができません

しかし純粋な行動はあるのです

動機のない純粋なる行為


本当に優しい人は得をしようと
人に優しくするのではありません

なぜそのように歩くのかと訊かれても
これが私の歩き方だとしか答えられないように
なぜ優しいのかと訊ねられてもこれが私だから
としか言いようがないのです

どうして咲くのかと問われても
花は困ってしまいますよね?

正しい行為とは正しくあることが目的であり
行為の背後に野心や願望の影はないのです

 ※『正しい行為』について



しかし殆どの人が何かを得るために良い人になろう、
優しくなろう、正しい行動をとろうとします

後で手にするであろう”人参”のために
彼らは他者に優しくするのです

つまり彼らは〈意志の力〉を使って他者に優しくしているのです

意志的活動は優しさではありません

 ※『真面目に誠実に正しく生きる



精神修行の一環としてだったり評価を得るため
お金を稼ぐため、顧客を増やすため
有名になるためなど様々な理由がありますが
殆どの人は手に入れたいもののために
人に優しくしたり良い人になろうと
努力しています

しかし欲しいものを得るためにとる行動の
どこにも優しさはありません

というのは動機や願望の本質は利己性であり
利己から生じる行為は自己本位なものだからです

記事タイトル下の写真のように行動を起こす動機(木の根っこ)が
お金なら行為(葉)もお金に染まります

動機が利己的なら利己的な動機から生まれる行為
もまた利己的です

目的をもたないときに生まれるものが
優しく思いやりのある行為であり
敢えて言うなら優しさそのものが行為の目的なのです

優しさからは優しい花が利己性からは利己的な花が咲く
という単純なことなのです

※『本当の優しさ』について

条件付けから自由になる


これまで見てきたように人は賞罰や損得で
動くよう強く条件付けられているために
生きる意味や目的についても
満足のいく観念を信じたり
都合のいい意味を探し求めます

快を求めて突っ走るというループにはまっているから
人は生きる意味や目的を見出さなければ~賞を
見出さなければ~生きていけなくなっているのです

※『生きる意味・目的

花のようにあるがままに生きる


人はただ生きることはできないものでしょうか?

目の前に人参をぶらさげたりしないで
無目的に生きることができるのは
自らのこころに光を当てその中身を1つ1つ
調べ上げたときだろうと思います

澄んだ湖にくっきり映る青空のように
ありのままの感情や思考を心という鏡に
映してそれを見た人の人生は見た瞬間
劇的に変わりますが自分自身について
理解していない人の人生は生きる意味を
探しながら空しく生きていくのではないでしょうか

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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