質問
難しい本も読まない人が、
人と交わる資格ってありますか?
凡庸な世俗の付き合いしか出来ない人格が
精神的人格と付き合う資格ってありますか?
あなたは危険な結論に至っているようです
>難しい本も読まない人が
人と交わる資格ってありますか?
あります。というかこの世に生まれてきた人で
人と交わる資格をもたない人などいません
金が、名声が、知識が自我を太らせる
難しい本を読まない人=凡庸な世俗の付き合いしか出来ない人
ではないし、難しい本を読む人=精神的人格・成熟した人
でもありません
他の人の考えや経験を読書を通して学ぶことで
崇高な精神を手に入れた気になるかもしれませんが
それはお金持ちや権力者が自身を特別であると
思い込んでいるのと同じです
お金や名声を手に入れて自我・エゴが膨らんで
傲慢になることと知識を貯め込んで自我が膨れて
傲慢になることは一緒です
それに…
エゴが膨らむと優しさや思いやりから離れてしまうのに
そのような人の精神が優れているでしょうか?
※『優しさとエゴは共存しない』
生の大部分において知識は有害である
真剣に生きている人 or 生きた人、
つまり己の精神に深く潜った人なら
知性が人間的な能力の一部でしかないことを
理解していますし、生の大部分において
知識が有害であることに気づいているはずです
知識の蓄積を洗練された精神だと思い込んでいる人には
知識豊かな人の言葉の方が効果があるでしょうから
彼らの言葉を紹介したいと思います
読書についての思い込みをなくそう
ショーペンハウワーはこのように警告します
「読書家というのは他人の頭で考える人間である」
「読書は、他人にものを考えてもらうことである。
本を読む我々は他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない」
「読書で生涯を過ごし様々の本から知識を汲み取った人は、
旅行案内書を幾冊も読んである土地に精通した人のようなものである」
シオランは言います
「僕たちが他の人よりも物事を知っているということが
僕たちの神経バランスをかき乱してしまう」
知識は人を冷酷にする
読書家は他人の思想が頭に詰まっているということが事実であり
知識豊かな人の精神が優れているということではありません
しかし世間では利口で知的な人は称賛され栄誉を与えらます
また古代の人たちも「知性が生の中で最も重要な役割を果たす」
と考えていましたし、今の人もそう信じています
これは現代の教育が知性、思考、知識を培うことに
基礎をおいていることを見ると明らかです
しかし…
知性は人間性を開花するどころか
その占める領域が大きければ大きいほど
知覚・感情・知性のバランスは崩れます
シオランも言っているように思考だけが発達すると
神経バランスは崩れるのです
そしてあなたの利口さが最後にあなたを裏切ります
なぜならあなたの知識は「自分は無知な人とは違う」と言って
あなたから思いやりを奪って傲慢で冷たい人にするからです
関係において知識は有害
知識は限られた範囲で必要ですが、
生きているものを理解するには...
~自分や他者を理解するには~
知識は邪魔になります
つまり毎日の行為の分野で知識は必要ですが
人間関係においては占めるべき場所はないのです
なぜなら…
人間関係とは人と人の間にあるのであって、
知識と知識の間ではないからです
生き物と生き物の間にあるのであって
死物と死物の間ではありません
知識は人間関係を築くどころか阻んでしまいます
というのは知識は思考の素であり
思考の本質は区別したり分裂させたりすることだからです
その証拠に難しい本を沢山読んできたあなたの【知性が】
本を読まない人を人格者と区別し彼らを
あなたの世界から締め出しました
【知性が】本を読む人と読まない人に分けたのです
人と人を分けるのは知性であり、分断からは
対立や争いという恐ろしい暴力性が生まれるので
知性は人間を堕落させる主要因なのです
知性はあらゆるものを分裂しますが
成熟した精神に不可欠である英知は
何一つ分けることはありません
成熟した精神の持ち主は相手が誰であろうと
交わることができます
本を読まない人と交われないのは
あなたの知識が邪魔しているのであって
相手に知識がないからではないのです
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