都合の良い情報ばかりを集める人の利己性

2020/03/15

思考 利己的な私 理解 洞察 事実

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質問

自分は自分にとって都合の良い情報だけを肯定し、
受け入れてしまうということに気付いてから、
私は勘違いしないぞという安心感を得つつも、
負の感情に勝てなくなりました。

今までは誤魔化せていたものができなくなった。

劣等感を感じ、なぜ劣等感を感じるかと考えて、
それが過去という変えられないところでの
後悔だったりするとき、
そういう現実があるんだという感じで
もう反論できないというか、、、
感情の逃げ場がなくなりました。

どうしたらいいですか?





私たちは都合の良い情報を受け入れる>



あなたは自分が都合の良い情報だけを、
集めてしまうことに気づいているので、
既に答えを手にしたようなものです。

自分に直面することを避ける為なら、
人はどんなに馬鹿げたこと、
正気ではないことでもしようとしますが、
あなたはそうではありません。

情報を取捨選択するあなた自身の利己性に、
既に気づいているからです。

快を与えてくれる情報に飛びつくという、
性癖を洞察したからです。

このことに気づいていない人は、
問題が生じても解決するのは難しいですが、
あなたはもうクリアしているのであとちょっとです。





情報ではなく事実を見つめる



殆どの人は都合の良い情報だけを入手して、
自分自身の日常の行動を正当化し、
自分自身を誤摩化して、
社会に上手く順応して生きていますが、
このことに気づくと人は、逃げ場をなくします。

逃げ場がなくなるということは、
事実を直視する以外、
何もできなくなるということです。

多くの人は事実を概念で都合よく包み、
ありのままの事実を直視することから逃れますが、
その逃げ場が虚偽であることに気づくと、
事実を見つめるようになります

これまでは事実についての誰かの見解(情報)を、
主観的に取捨選択してその情報を基に、
自分の思考を働かせていましたが、
入手する情報は何であれ限定され断片的で、
且つ自分に都合良く取り入れられた
ものであることに気づくと、
情報や思考に逃げ込めなくなります。

しかし逃げ場を失うときにようやく、
活発だった思考は静まり、
思考というヴェールなしに
物事をありのままに見ることができるのです。

物事に直面することができるのです。

事実についての様々な情報ではなく、
事実と直接対面します。

情報・知識としての過去を介入させずに、
事実(現在)を見つめることができます。





感情と向き合う・感情を見つめる



あなたは誤摩化せなくなったと仰りますが、
誤摩化すことがそもそも不自然だったのです。

また誤摩化すことは逃避に他なりません。

そしてこれを殆どの人たちが、
無意識にか意識的にかやっています。

しかしあなたは誤摩化せなくなったからこそ、
自分自身の感情と向き合えるのです。

誤摩化していたときには、
感情を見つめることなどできなかったハズです。

あなたの思考が感情を上手い具合に解釈して、
感情そのものに向き合えてはいなかったハズです。

自分自身の感情と向き合うこと、
ありのままの自分を見つめることは
快をくれる思考に浸る人には決してできません。

ですから感情が醜かろうと、
あなたのむき出しの感情、
あるがままのあなた自身を見つめましょう。

向き合わない感情は何度も何度も
違う形をとって現れますが、
向き合うとその感情は花開くとパッと散ります。

ですからあなたがされているように、
感情に勝とうとする必要は全くないのです。

感情は観察することで消滅するのであって、
抑えたり打ち負かそうとしても、
消えてなくなることはありません。





注視すると感情は消える



他者と比較する(←思考の働き)から劣等感は生まれ、
変えられない過去について考えるから後悔し、
過去に抗うから苦しむことがわかると、
自らの思考に苦しめられていることに気づきます。

するとあなたは思考を疑うようになります。

これまで以上に思考に
注意を払うようになります。

思考があなたに何をしてきたかがわかると
あなたはもはや思考に流されません。

そして思考は注視すると、
信じられないかもしれませんが、
(そして信じる必要もありませんが)
思考は止むのです。

思考が止むとあなたが感じていた、
劣等感や後悔、苦しみも一緒に、
消えてなくなります。





何も携えないで生きるということ



逃げ場をなくしてからが、人生本番ですw

思考の構造を理解するとき、
人は本当の意味で生きることが可能になります。

思考の虚偽に気づくと、
人は思考に頼って生きることを止めます。

そして現在〈いま〉というこの瞬間、
進行中の現在をしっかりと見つめて、
生きるようになります。

道徳や規律、信念を手にいっぱい携えて、
現在に出会うのではなく、
両手を空っぽに自由にして、
現在という未知の領域に出会うとき、
知識を積み重ねる学びとは別の学び、
つまり新しいものを刻々と学びながら
生きるようになります。

思考は自分の持ち場で活躍しますが、
これまでのように思考が生の全体に
行き渡るようなことはなくなります。

こうしてあなたの中に生まれた空間が、
生を美しく輝かせるのです。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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